テーマ:お隣さん

隣の家の弟

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弟もいま、反抗期なのだったらいい。私よりずっと遅くて長く、私より強い。私を前例として一度経験したはずの両親も、夜になるとため息をつきながらふたり、弱い照明の下で話し合っているということを知っている。小さい声で。弟と私には聞こえないように。私がなにか、弟に道を示すべきなのかもしれない。けれどいまは、もうすぐ引っ越すということ、就職するということでいっぱいいっぱいになっている。
こっちを向いた写真を捨ててしまおうかそれとも焼いてしまおうかと、一瞬思った。けれど、折れないように、ノートに挟んでダンボールのなかに入れた。
もうすぐこの家を出て、ひとり暮らしをはじめないといけない。そんな日がこなければいいのにと思いながらも、時間が弟を変えてくれますようにとねむって時間を過ぎさせた。
起きると昼前だった。隣の部屋からはなんの音も聞こえてこず、いつもはなかった静けさで目覚めた。外は三月、冬と春のあいだの風はなく、見えない花粉さえほこりのように重力に身を任せているようだった。ベッドから降りると、とりあえず組み立てたダンボールを補強したガムテープが、パキっと剥がれて音が響いた。鍵盤のような形の光が差し込んでいて、散らばる部屋を切り取るみたい。静けさを壊さないようにそっと歩いて部屋を出るとその下にはまた、ぴしぴしという裸足の音しかない。家を思い返すみたいに私以外がいない家を歩くと、家族写真がある。隣の家族といっしょに撮った。私とユウキくんと弟の三人がみんな小さく、大人たちを傷つけなかった時代の写真。じっとそれを見ていたい。思い出のなかに埋もれてしまいたい。ありふれた不安や別れなんて、すべてなかったことにしたい。目の輪郭いっぱいに細かい歯が生えて、それで食べ尽くすように写真を見ながら時間が経っていく。
スマホが震えた。
〈ユウキくんちきて〉〈早く〉〈今すぐ〉
なにかあったのかもしれない。事故が起きた。だれかが怪我をした。弟が、なにかした。
空気のように体に取り込まれていく不安でいっぱいいっぱいに、呼吸を浅くしながら家を飛び出した。サンダルが咄嗟に見つからなかったから裸足で、小石に刺されながら。虫を踏みながら。痛みながら。
ユウキくんちの玄関ドアを、自分の頭にぶつけるみたいに勢いよく開くと、破裂音がした。



パン! と、いう音で、それまで自分がうつらうつらしていたことに気がついた。
「ねてたっしょ」と先輩がいった。

隣の家の弟

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