ヘルとテル
スカイプでの打ち合わせの声が、両親の部屋から漏れていた。それをヘルが聞いていた。だからヘルは、大人によろこんでもらおうと出しゃばって、さっき両親のところにいかせないためにテルをこかそうとしたのだし、いまも、わざとらしく迷おうとしている。少しでも、森の外にある観覧車やジェットコースターが見えようものなら、慌ててテルを別の方向に誘導した。ヘルはもしかしたら勘づいているのかもしれないと、母親が父親にささやいた。あなたに似て利発な子だもんね。もし計画を知っているなら、これからつらい目に合うこともわかっているというのに、にこにこしてる。この子はマゾなのかもしれない。
森のなかで迷子になってしまったと信じ込んでしまったテルは家に帰りたがった。ヘンゼルとグレーテルが道しるべを置いたように、自分のうしろにもなにかないかと探した。森の土に混じって、ポテトチップスのくずがあった。さっきまでテルが食べていたものだ。だから母親はこの子の皮下脂肪を心配している。カスをたどって帰ろうよ、とテルがいったが、ヘルはそれを聞かなかったことにしたし、ちょうど、クローンの小鳥がついばんでしまった。
それとなく、両親がヘルに合図を出して誘導しはじめたので、お菓子の家に着く目途が立ちはじめた。だが、まだお菓子の家はできていない。
偶然にも、隣接するエリアでもこの時間、ヘンゼルとグレーテル・プログラムをやっていた。おばあさんはそこにこっそり忍びこんで、お菓子の家をむさぼり喰うヘンゼルとグレーテル役の姉妹に混じってお菓子を盗んできて、それらにパテを塗りたくって簡素な小屋にくっつけたりしていた。けれど、おばあさんひとりではとても間に合いそうにない。
メーデー! メーデー!
おばあさんはキャスト用のヘッドセットに向かって小声で叫んだ。すると、たちまちのうちに、鬼や青ひげや悪魔やドラゴン、サイコキラーたちが現れた。駆けつけてこれたということは、みんな休憩中だったろうに、やっぱり持つべきものは仲間だなあ、とおばあさんは感動したが、あえてなにもいわなかった。悪役たちといっしょに、せっせとお菓子の家づくりにはげんでいたところだ。
両親は子どもたちを見て涙ぐんでいた。はじめて、ふたりだけでおつかいにいかせたときのことを思い出した。そのときもこうして、陰から見守っていた。子どもがかわいくて仕方がないのだ。カメラなんてどこにもないのに、なにかに撮られているみたいに、はらはらしていた。それでつい、声をあげてしまった。がんばれー、と大きな声で。今度はヘルも隠しきれなかった。テルが、近くに両親がいることに気づいてしまった。テルは、自分の弱い、子どもらしいところを見せるのならここだとでもいわんばかりに、声をあげて泣き出した。涙は出ていなかったが、泣き声を出しているうちにほんとうに涙が出てきた。ヘルも、つられて泣いた。ふたりの泣き声で、両隣のエリアの子どもや、遊具で遊ぶ子どもたちも泣きだしてしまって、騒音にやられたクローンの小鳥たちが異常に鳴きだし、地獄のようだった。いや、ヘルのことではなくて。
ヘルとテル