テーマ:一人暮らし

花も涙も置ける部屋

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「私も……いるよ。いるよ。あのアパートにいるからね……」
 声が震える。柊也が言ってくれた。
 ――俺はいるから。  家はなくても、俺はいるから。
「私も……いるからね」
 きっと届いてない。震えて大きな声も出なかった。行かないで、ちゃんと話して、そうやって引き留めることもできなかった。「アイカちゃんは暗い!」母の声がする。何度呼びかけても振り向いてくれない母の姿が頭に浮かぶ。私は、死んでるの? どうして無視するの? 
私は座り込んで動けなくなった。角を曲がって柊也の背中は消えてしまった。悲しい匂いがまた漂っている。あのクマのせいだ。私はクマのキーホルダーを取り出した。悲しい顔した、悲しい匂いをしたこのクマ。私が強く握るとクマは声を出してエンエンと泣いた。
 アパートにつくころには暗くなっていた。ポストの上には紫色の花。おかえり。可愛らしく、控えめに迎えてくれた。部屋に入ると、自分で飾った花や、小物。いいねえって柊也や秦野さんが褒めてくれたものたちが迎えてくれた。ものすごく静かで、なんの音もない。だけど、すぐにチャイムが鳴った。
「大丈夫かい」
 秦野さんだった。その姿を見て私は力が抜けて、自然と目からぽろぽろと涙が溢れてきた。何をどう話したらいいのか分からなくて、私はただ泣いた。そんな私を秦野さんは暖かい手でずっとさすって、大丈夫、大丈夫。そう言い続けてくれた。優しくされればされるほど涙が滝のように流れた。
「なんでも思ってること話すんだよ。みんな、聞いてくれる。アイカちゃん。なんでもいいよ。案外、聞いてくれるもんだよ、ひとは」
 私はせいいっぱい頷いた。
 私は、死んでなんかない。生きてる。
 その夜、たくさん泣いて落ち着いた私は、賑やかなスナックの音に耳をすませていた。一生懸命、どういう思いで柊也が働いていたのか知りたかった。もっと、なんでも聞けばよかった。話をさせてあげればよかった。力になりたかった。そして、ラインの音が鳴ったのは深夜3時だった。
『いるからって俺が言ったのに、ごめん』
 柊也。私は飛び起きた。
『私こそ、なにもできなくてごめん』
『会いにいってもいい?』
『いいよ。私はいつも、いるよ』
 柊也はすぐにやってきた。学校で見た同じ格好で、申し訳なさそうな顔で。
「ねえ、柊也。来て」
 私はまず、柊也を部屋の奥の窓のところに連れて行った。
「ここからお店の光が見えて、お客さんが見える。ときどき見送るママさんとか柊也が見えて、頑張ってる音がいつも聞こえてる」

花も涙も置ける部屋

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