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Forget Me Not

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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 「お呼びでしょうカ?」
 僕はうつむき、やっぱりどこか物足りない気持ちのまま、朝食の準備を頼もうとしたが、かわりにこう尋ねた。
 「205、きみは、実在しないものの存在を信じる?」
 アイムーブカメラは、まるでまばたきをするように、かしゃり、とレンズを切り替え、
 「いいえ。『実在しないものの存在』は、そもそも矛盾していまス。私が認識するのは、私のカメラレンズを通して伝えられる像のみでス」
 と答えた。機械は、正しい。人間よりも、ずっと正確だ。カーテンの隙間から、あの女の子がひょっこり顔を出す。サボテンの鉢をいくつか腕に抱いており、それらを順番にアイムーブカメラの前に並べていく。まるで、子猫でもなでるように、優しく、そっと。黄色い花のかんむりをいただいたようなもの、鮮やかなピンク色の花を咲かせたもの、小さな球体がぽこぽこと生まれたようなもの、刺がホイップクリームのようにねじれているもの、ハート形のもの。女の子は指先で、やんわりとサボテンの刺をつついた。一定の間隔で像が乱れ、ザザ、と斜がかかったように不安定になる。
 「お出かけの時間でス」
 音声とともに、目の前のサボテンと女の子がさっと消える。ふと、アイムーブカメラのすみっこに、キラキラと光るものがあることに気がついた。よくよく見ると、それはラメの入った花の形のシールで、『Forget Me Not』とロゴが入っていた。
 その日、午前の授業が休講になったので、僕は図書室で時間を潰した。ぽかぽかと晴れた陽気のせいか午後の予習をする気にもならず、僕はタブレットに植物データ図鑑をインストールし、今朝部屋に現れた植物たちを探してみた。名前や生態がわかっても、特にこれといった感慨はなかった。僕はやっぱり胸がすぅすぅし、物足りない気持ちのままタブレットの画面をフリックする。すると、『Forget Me Not』という表記が目にとまり、僕はデータを読み込んだ。「わすれな草」という花の英語名で、春に咲く小さな、くすんだブルーの花だという。
 『あたしのこと、忘れないでね』
 どこかできいたような言葉がよみがえり、僕は思わず顔をあげた。図書室の窓の向こう、バイオプラントで、じゃがいもの花が揺れている。じゃがいもの花の中から、ひとりの女の子の姿が立ちあがった。栗色のショートカット、日に灼けた華奢な手足。彼女だ! 僕は椅子を蹴って立ちあがった。女の子は腕まくりをして腰をかがめ、下草の手入れでもしているようだ。僕は図書館を出て、バイオプラントへ走った。

Forget Me Not

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