合奏
「前から言おう言おうと思ってながらなかなか言えなかったんだけど、今日こそ言わせてもらうわ。お宅からラッパの音がうちに聞こえてきてうるさいのよ。とくに最近うるさいのよ、もっと静かにしてくれないかしら」
妻の謝る声が後に続く。
「どうもすいませんでした。これから気をつけます。本当に申し訳ありません」
確かに最近、何も言われないのをいいことに、ミュートをつけず思い切りトランペットを吹くようになっていた。私は、しまった、と思ったが後悔先に立たずである。お隣さんとの付き合いが気不味くなった。それと同時に私は完全にトランペットから遠ざかってしまった。
その後引越しの際持っては来たものの、トランペットはケースに入ったまま収納棚でずっと眠っている。家の二人の子供たちも昔私がトランペットを吹いていたとは知らないだろう。
仕事からの帰り私が家の前までくると、隣の高橋さん家から音が聞こえる。聞き覚えのある音だ。そうだこれはトロンボーンの音に違いない。まだ拙いトロンボーンの音である。いったい隣で誰が吹いているのだろう?と私は思った。その後隣からしばしばトロンボーンの音が聞こえてくるようになった。トロンボーンは日に日に上達していくよう私の耳に聞きとれた。
日曜日の昼間、雑草を抜き庭の手入れをしている私に、外から高橋さん家の旦那さんが声をかけてきた。
「こんにちは長谷部さん。庭に精が出ますね」
「高橋さんこんにちは。いえいえ雑草がすぐ生えてきますので、仕方なしにやってるだけですよ」
「そうですか」と返した後、ちょっと間をおいて高橋さんは、申し訳なさそうに続けた。
「ところで娘の吹くトロンボーンの音なんですが、うるさくありませんかね。迷惑なさっていませんか」
この時私はトロンボーンの音の主が、居るのか居ないのか姿を見ない、高橋さん家の娘さんだったのだと初めて分かった。
「ああ娘さんでしたか。誰が吹いてるんだろうなって思ってたんですよ。うるさいなんて思ってませんので気にしないでください。それよりどんどん上手くなっていくので感心してたとこですよ」
「そうですか良かった。なに、娘が急にトロンボーン始めるなんて言い出しましてね。まあ私も昔クラリネット吹いてましたんで、やはりそこは血をひいてるんでしょうかね」
「えっ、高橋さんクラリネット吹くんですか、びっくりだな。実は僕も昔トランペット吹いてたんですよ、もうずっとやってませんが」
合奏