テーマ:一人暮らし

私を見た家

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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 甥はほとんど真っ赤な芋虫だった。その芋虫をたらいに入れて入浴させる様子はものすごく恐ろしいものだった。手が滑ったら簡単に溺れてしまう。妹と母は器用に入浴させていて、そんなことは起こらなかった。
義弟は三日に一度は家に来て、そのまま泊まることも多かった。仕事はまだまだこれからだろうに大丈夫なのかといらぬ心配をしてしまう。義弟は妹によると「何でもそつなくこなすタイプ」とのことで、心配するのを止めた。
 心配されるのは私なのだ。
 三十台も後半にもなると、望んでいなくとも何らかの役職に就かざるを得なくなった。会社に残るには、上を目指すことが求められる。
けれどもそれは当然だった。私もかつて上司や先輩に同じ姿勢を望んでいた。現状維持を望む上司のことを軽蔑すらしていたのだ。
もともと忙しかった仕事がますます忙しくなった。まだまだ新しいことを覚えて、身に着けていかなければいけなかった。これからもずっとその繰り返しだ。何年これを続けてきたのだろう。
 新しいことを覚えて新しい仕事をしているはずなのに、いつも同じことをしているような感覚になっていた。
自分の時間などまったくなく、私に残ったのは食べることと寝ることだけだった。食べる時間すら惜しくなり、体重は減っていった。多忙を理由に会社の健康診断を先延ばしした。胃腸を痛め、市販の薬ではどうにもならなくなり、何度か医者に駆け込んだ。自分をだまさないと生活を続けられなかった。
独身で実家に住み続けていることを理由に望まない形で仕事を任されていることは、二十代のころから感じていた。けれども些細なことだと気にしなかった。今は違う。

 妹は予定通りに引っ越していった。
義弟が決めた新しいアパートは家から電車で一時間以上もかかる隣の県にあり、母はなぜそんなところにと残念がっていたけれど、妹夫婦は仕事の都合を優先した。母は半ば妹に呼び出される形で孫に会いに行き、それでもいつも嬉しそうな顔をしていた。
妹が結婚して三年が経ち、甥の他に姪もできたころ、母が再婚すると言った。
そんな相手がいたことも知らなかったが、私はすぐに素直に祝福した。聞くと、相手は近所に住む母と同世代の男性でずっと前に奥さんを亡くしているという。生け花のカルチャースクールの隣の教室で、ボランティアで書道を教えていた。
近所に住む人だから生活は何も変わらないと母は思っていたが、婚約者は北海道への移住を考えているという。それで結婚をすることにした。

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