テーマ:一人暮らし

「電話」他五篇

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1「電話」

彼は不動産屋に勤めていた。客に何枚も間取り図を見せ、気に入れば案内する。なかなか便利ですよとか、掘り出しものなので早めに決断した方がいいですよなどと言いながら、彼自身は部屋にほとんど興味がなかった。その不動産屋は主に単身者向け物件を扱っていて、中には女性限定の物件も少なくなかった。

彼女は派遣で電話オペレーターをしていた。何か仕事しないと食べていけないから、今は何となくこうしている。電話は全国津々浦々から掛ってくる。故障や不具合の相談が主なので仕方ないとは言え、凄い剣幕の聞き取り辛い方言なんかでガミガミ言われた日には、気が滅入るのを通り越し受話器をぶん投げたくなる。厄介なのは、電話に出るまでどんな相手か分らないことだ。でも、時折、ほっとするような「やさしいもしもし」に出会うことがある。

彼はその日、ある物件の退出立ち会いに来ていた。出ていくのは美大の男子学生で、部屋は予想通り汚れていた。空っぽの部屋にファクス電話だけが片づけられず、まだ置かれている。
「この電話は?」
「要らないんで置いてきます。片づけて貰っていいですか?」
「・・いいけど、もう使わないの?まだ新しいんじゃないの、これ」
「もっといいのがあるんで、向こうに」
「そう」
学生はその他のことは案外きちんとしていて、部屋の鍵を返した後、礼儀正しく挨拶をして出て行った。さて、どうしたものか・・とファクス電話の前に腰を下ろした途端に、電話が鳴った。
「・・もしもし」
「もしもし、ヤシマ電気カスタマーセンターの島田と申します。田川さんのお宅で宜しいでしょうか?」
「あ、あの、そうなんですけど、田川君はちょうど今日って言うか、たった今、引っ越して出て行っちゃったんです。・・・すいません、私はこの部屋の不動産屋で」
「え?そうなんですか」
「ええ、ちょうどさっき本人が出てったんで惜しいと言うか、ギリギリのすれ違いなんで
 すけど」
「分かりました。こちらこそ失礼致しました。お手数お掛けして申し訳ありません」
「と、とんでもない」
「それでは失礼致します」
「あの、用件は何だったんでしょう?携帯知ってるので、本人に僕から伝えましょうか?」
「いえ、あの・・」
「伝えますよ!大丈夫ですか?」
「あの、ファクスの故障修理の確認のお電話なんですが・・」
「あれ?じゃあ、この電話壊れてるんですか?」
「いえ、ファクスの方の紙詰まりとプリントの調子が悪いというお話で」

「電話」他五篇

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