テーマ:お隣さん

ダンボールマン

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「もしもし浩、お母さんよ。引越しの片づけはどう?」
「あと少しで終わるよ」
「急なんだけど、お母さんあなたの事が心配になって、今マンションのそばまで来てるの。もう少しで着くと思うから待っててね、じゃあ」
「えっ、ちょっ、ちょっと、、、、」
 母親は、浩がまだ何か話そうとするのを聞かず、一方的に電話を切ってしまった。困った事になった。ダンボール箱をかぶる息子の姿を見たら、さぞかし驚くに違いない。こちらからもう一度電話をかけて、都合が悪いと言って訪問を断ろうか。浩は頭を悩ませた。悩んでる間にも時間は過ぎてゆく。ピンポーンと玄関の呼鈴が鳴った。仕方ない。ダンボール箱をかぶったら取れなくなったと、母親に正直に話そう。浩は勇気を出して玄関に出た。そしてドキドキしながら玄関を開けた。
「こんにちは浩、突然来て悪かったかしら」と母親は、ダンボールを顔にかぶる息子を前に全く驚きもせず言った。いったいどういう事だろう?驚かない母親を目前に、逆に浩が驚いた。
「いや悪くないよ。だけどもし僕がいなかったらどうしたんだよ、、、まっ、そんなこといいか。お母さん、結構遠い所わざわざ来てくれて有難う。疲れたでしょ、なか入って休んでよ」
 幼い時分よりずっと浩は、両親にとって良い子だった。表向き親に反抗したことなど一度もない。そりゃあ内心歯向かいたい時も多々あったが、その度にこにことして、本当の自分を見せずにきた。両親もそんな浩を疑うことなく、これが自分達の息子なんだと信じてきた。確かにそんな浩が浩であって、それこそが彼の姿だと言えば言えなくもないが、彼自身、自分が自分であって自分でないような歯痒さを、ずっと心の奥底に仕舞ってこれ迄生きてきた。
 母親は息子の顔にかぶさるダンボールのことなど全く気に留めず、自然に彼と接した。一休みしてから、二人で残りの片づけを終わらせた。
「お隣さんに引越しの挨拶は済ませたの?」と母親が尋ねた。
「いや、まだだよ」と息子は返事する。
「じゃあ今から行きなさい」母親は息子にそう言って、自分のカバンの中から何か出し、
「これお近づきの印に持っていきなさい」と手渡した。
「これ何?」
「タオルよ。手ぶらじゃちょっとね」
 浩は、あまりに母親が自分と自然に接するので、忘れかけていた顔にかぶさるダンボールのことを思い出し、挨拶へ行くのを躊躇した。ぐずぐずする息子に母親は、さあ早く行って来なさいと促す。浩は、こうなったらやけくそだ、と覚悟を決めて重い腰を上げた。

ダンボールマン

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