テーマ:お隣さん

隣人はパールバティ

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踊りはそうしてほぼ二十分続き、休憩を挟んで、また別の踊りに移った。この頃になると、僕の脳裏に、インドでよく見たパールバティの絵が浮かび、それが彼女と一緒に踊り始めている。魅惑のひとときに僕は深い溜息を漏らす。
その日、彼女は、休憩をはさんで、ほぼ二時間近くに渡って5曲踊った。いずれも激しい踊りで、はあはあと荒い呼吸をしながら、終わりの挨拶をしたほどだ。
 その夜、僕は「大いに楽しめた。」と彼女のスマホにメールを送った。翌日の昼になって、「ありがとう、また、次の公演に来てね。」と返信が届く。それがひっそりと静まり返った隣室から送られたものかどうかは分らない。
それからしばらくの間、僕たちは顔を合わせることがなかった。それでも、週末の午後、時折、バルコニーでちらりと顔を合わせることがある。僕が手を振って挨拶すると、彼女は身振り手振りで踊るように挨拶を返してくる。どうやらインド舞踊の所作で挨拶しているらしい。それが何回か繰り返されたあと、僕はたまりかねて尋ねた。「それってどういう意味?・・・はは、愛してるわよお、とか?」「ふふ、ヒミツ」。それが彼女の答えである。だが、悪い意味ではなさそうだ。インド舞踊の所作の一つ々々など、とてもネットで調べられるものではない。そこで、バルコニーでの挨拶として、僕も彼女の所作を真似ることにした。その上で、「これは、愛してるよお、という意味だよね?」と、笑いながら冗談半分に尋ねることもあった。時折僕たちは互いにそんな戯れの挨拶を楽しんでいた。
そうしてあのパールバティがじわじわと僕の日常に忍び込んでくる。会社でパソコンに視線を注いで仕事をしていても、画面の向こうに彼女が踊る姿が浮かんでくることがある。寝ていても、浅い夢の中に、シバ神とパールバティが愛し合う様子が現れたりした。そのシバ神が自分自身になることもある。
それから更にしばらく経った頃のことである。彼女から僕のスマホにメールが入った。次回公演の案内だ。会場は池袋の「XX舞踊教室」とあるので、彼女が実際にインド舞踊を教えている教室なのだろう。公演は週末なので、僕は早速「行きます。」と返信した。どこから送ってくるのか分らないが、一時間もしないうちに、「会場でお会いするのが楽しみです。」という返信がある。

「XX舞踊教室」。開場時間から少し経った頃、僕はそこに用意されている椅子に座った。教室の生徒らしい客が十数人も集まり始めている。開演時間になると、衣装を着飾った彼女が現れ、今回の舞踊の所作の幾つかの意味を説明した。シバ神と女神パールバティの愛の交歓を表現したものだという。彼女は時折ちらりと僕に視線を投げる。その説明の中には、「愛している」という意味の所作もあるが、僕の記憶では、少なくともバルコニーでそれを見せてくれたことはない。そして、お隣のパールバティが踊り始める。

隣人はパールバティ

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