テーマ:お隣さん

隣人はパールバティ

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 気づくと、電車が池袋に着く手前の駅に着いた。僕達は、急いで互いのスマホの電話番号とメルアドをおしえ合う。彼女の公演は翌月の末に予定されているという。正確な日付・時間と場所はメールでおしえてもらうことになった。彼女が池袋であわただしく電車を下りていく。
 隣室とはいえ、僕と彼女が顔を合わせるのは、週末のほんのひとときのことだ。互いに仕事が忙しい。ある時、バルコニーでちらりと顔を合わせた時、僕は、彼女の本名を呼ばず、「やあ、パールバティ」と呼んだ。パールバティとは、インドのシバ神に最も愛された女神だ。僕はほんの冗談半分にニックネームとしてそう呼んだのだった。彼女は少しもためらわずにこりと笑って頷いた。「パールバティだなんて。でも、嬉しいわ」その時、彼女は一言そう言った。
 それからしばらく経った平日の午後、僕のスマホに彼女からメールが入った。「X月X日、午後X時に、Zで公演します。Zの最寄り駅はY線のY駅です。・・・・入場料は1500円ですが、是非いらしてください。パールバティより」とある。仕事中だったが、僕は早速パソコンでY駅からZまでのマップを調べた。徒歩十分ほどの距離である。X月X日は週末なので問題はない。早速返信する。「行きます。パールバティの踊りが楽しみです。」
すると、少し経って、彼女からこんなメールが入ってくる。「会場は狭くて椅子が少ないので、少し早めに来てくださいね。いい席に座ってください。お会いするのを楽しみにしています。」「了解。僕も楽しみです。」僕もそう返信する。隣人同士で、メールでそんなやりとりをするとはおかしなものだが、互いに自分の仕事が忙しいのだから仕方がない。都会のマンションの隣人とはそんなものだろう。
それでも、今の隣人は、僕にとって、懐かしい思い出のあるパールバティなのだ。実は、ボンベイで、僕がよく見たのは魅力的な女性舞踊家で、彼女をよくパールバティと呼んでいたのだ。
公演の日、僕は少し早めに会場に着き、空いていた真ん中の席に座った。確かに小さな会場で、三十人ほどの観客で満席になる。開演前には席がすべて埋まってしまった。開演時間になると、彼女自身が豪華な衣装を着て姿を現し、CDプレイヤーから音楽を流し始める。ボンベイでよく聴いた舞踊音楽だ。それに合わせてパールバティが眼の前で踊り始める。
 音楽は軽快で激しい。それに合わせて踊りも自ずと激しくなる。両腕、両脚、腰のすべてが大きく動く。動きの一つ々々にそれぞれ意味があるというが、僕には分らない。おそらくそれはシバ神に最も愛されたパールバティの喜びの表現なのかもしれない。今、その女神が僕の眼の前で踊っている。僕は勝手にそう思い込んで楽しんでいた。額には「ビンディ」と呼ばれる赤い魔よけがつけられ、濃いアイシャドウが、いかにも異国的な空気を醸し出す。眼もくるくると激しく動く。

隣人はパールバティ

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