テーマ:ご当地物語 / 金沢

予感のゆくえ

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 これには、みんな声をたてて笑ったものの、そこにはコウタ君の勝田君への尊敬の意も込められていた。
 誰に教えられたわけでもないのに、自分より年下の勝田君のことを勝田さんと「さん」づけで呼んでいたコウタ君。この春、地方の中学を卒業して住み込みで修行中の勝田君は、
小学生といってもとおるくらい小柄で内気な男の子で、可奈子たちは愛情を込めて勝ちゃんと呼んでいたけれど、六ヶ月目にしてやっと、お客様に出す刺身のツマを担当できるようになっていた勝ちゃんへの敬意を、コウタ君は、勝ちゃんへの「さん」に託した。
 このところ、ちょっとした優しい風景に涙もろくなってきていた可奈子は、ウーロン茶片手にはにかんでいる勝ちゃんの笑顔に、じーんとなった。
 毎日同じことの繰り返しのようでも、胸熱くなる風景がそこかしこには転がっていて、日常もまんざら捨てたものじゃないねと口ずさみたくなる、そんな気分。
 いいお酒の席って、こういうことを言うのかな?明日からは、コウタ君のいない静かな厨房に戻るというのに、明日もまた、コウタ君の甘えた口調の丁寧語を耳にできそうな気がしてならなかった可奈子。
「サヨリって、きれいな魚ですよねぇ」って、二週間前のあの時みたいに、もう一度――。

 そんな淡い願いが叶ったのかどうか、コウタ君との一期一会には続きがあった。
それも、ついさっきまで、別れの刹那を噛み締めていた送別会の帰り道。
深夜十二時過ぎの駅のホームで、「降りる駅、同じだったんですね」と驚くコウタ君の声をもう一度、間近で聞くことができるなんて、なんて有難い偶然!
「ほんとに奇遇」とびっくり顔の可奈子の隣で、「ですよねぇ」と茶目っ気たっぷりに同意しているのは、もう会えないと思っていたコウタ君。
 安堵感が可奈子の胸に広がって、周りの景色が、こぼれない涙でぼやけた。
「一度くらいは必ず擦れ違っていますね」
「ほんとかな?」
「ほんとですって。だって僕、可奈子さんと初めましてって気がしませんでしたもん」
「あっ、それなら私も、私も」
「本当ですかぁ?」
 可奈子の発言は、勢いから出た真実だったのだけれど、コウタ君の真意のほどは、どっちだったのだろう。この成り行きで、
「これも何かの縁ということで、何処かもう一軒行きません?」なんて明るく誘われたら、
「どこ行きましょう」と即決即答。十四歳も年下のコウタ君の前で三十四歳の自分は、遠い昔の女の子に逆戻り。コウタ君の目に映っている自分の姿が愛おしく、

予感のゆくえ

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