テーマ:ご当地物語 / 金沢

予感のゆくえ

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「可奈子さんは、声もよろしいですが笑い方もよろしいですなぁ。僕の理想とする女将さんです。どうです?現代版おとぎ話の続編を作ってみるというのは?」の頃には、可奈子の心は一つに決まっていた。
 そこにはもう、後先を考える慎重さなど微塵もなくなり、ただ人生を楽しみたいという、動物的血液だけが脈々と流れ始めていた。

だからといって、可奈子の生活が急に一転することはなく、年が明けた一月中に引越しを済ませ、二月から本格稼動の運びとなった。
「勝手ばかりですみません」と恐縮する可奈子に若女将は、
「お店のみんなには、頃合いに私から伝えるから、可奈ちゃんはなんにも気にせんでいいからね」と可奈子を気遣ってくれる心意気。可奈子は胸が一杯になり、もう後戻りはできないのだと覚悟した。
 結婚生活に終止符を打った自分が、幸運にも見つけた安息の場所。おせっかいな同情もなければ余計な詮索もなく、ピリ辛な毒舌の中に詰まった笑いだけが、互いをつなぐ共通項。人見知りの激しいはずの可奈子が、自ら心を開いていったのもそのおかげで、とうに三十を超えていながら、みんなから可奈ちゃんと呼んでもらえる立場に至った。
――なのに自分は、ここを離れようとしている。
――だけど、これらを失う覚悟は、私の中で出来上がっていたみたい。
コウタ君の目に映る自分の姿が愛おしく、可奈子の心に残るコウタ君の笑顔がこの上なく切ないと気づいてしまった日に多分。潮時に怯えながらも潮時を期待してしまうような矛盾だらけの感覚で、決定的な転機を願った。
それは幼い頃、アンデルセンの人魚姫に強く惹かれてしまった可奈子の軽い後遺症。
ハッピーエンドのシンデレラよりも、海の泡となって消えた人魚姫に共鳴してしまったことが要因なのか――。夢見る頃を過ぎてもまた、不安な方を選んでしまった。
 自分と同じ時代に同じ物語を読んだ少女の多くは母となり、どこかでどっしり根づいているというのに、自分はこんなにも頼りないまま、一人漂う。
本当は、夜、眠れないほどに怖い。自分はこの先どうなるんだろう……、どうするつもりなんだろう……って、考えれば考えるほど不安で寝付けなくなるくせに、これが自分の転機と頑なに信じて、相沢氏からの最終確認に「お願いします」と頭を下げた。

「サヨリって、きれいな魚ですよねぇ」
 それが、可奈子に対するコウタ君の最初の一言だった。
「本当にそう」とばかりに目配せした可奈子に、照れ笑いしたコウタ君。

予感のゆくえ

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