テーマ:お隣さん

ゆうひと真珠と小さな秘密と

この作品を
みんなにシェア

読者賞について

あなたが選ぶ「読者賞」

読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

閉じる


昔ね、わたし、海に住んでいたのよ。いいえ、海の近くではなくてね、海。海のなか、に。ふふふ、おかしなこといっていると思っているでしょう。大丈夫、まだ呆けてなんかいないわよ。でも、信じてもらえなくてもいいのよ。何となくあなたに話してみたくなっただけ。わたしの我が儘に付き合ってくれてありがとうね。いいのよ、一人でお茶を飲むよりもこうして誰かと一緒に飲むお茶の方がやっぱり美味しいものね。そう、それでね、海に住んでいたの。でもね、好きな人ができて、どうしてもその人と一緒になりたくてわたしは海を捨てたの。家族や仲間、みんなを泣かせたわ。それでも、そうまでしてもその人が好きで好きでたまらなくって。でもね、いろんなものを捨てたのに、その人を振り向かせることは出来なかったの。その好きな人はどうしたのかって?すぐ向かいの大きなお屋敷あるでしょう、あそこに住んでいたの。でも半月前に死んでしまったわ。人の命は短いものね。一緒になれなくても、それでも近くにいられたからさみしくはなかったのよ。でもね、あの人がいなくなってしまったら途端にさみしくなってしまって。それで、昔の家に帰りたくなってしまったの。あの日もそうだった。交差点のところで、あそこが、夕陽が一番大きく見えるの、あそこで真っ赤な夕陽を見ていたら、子どものとき海で見ていた夕陽を思い出して帰りたくなってしまってね。そうしたらあなたが声を掛けてくれたのよ。いいえ、あやまらないで。声を掛けてもらえてうれしかったのよ。人前で泣かないようにずっと気を付けていたから、あのときあなたに声を掛けてもらえていなかったらきっと大変なことになっていたわ。ふふふ、変なこといってるって顔してるわね。いいのよ、誰が聞いてもおかしいと思うもの。でも、話を聞いてくれてありがとう。またいつでもお茶を飲みに来てね。

おばあさんの話を聞いたわたしの頭はぼうっとしていた。何だか不思議なことを聞いてしまったなぁと困った気持ちもあったし、素敵なことを聞いたなぁとうれしいような気持ちもあった。その話は子どものときに絵本で読んだ人魚姫そのものだった。おばあさんは信じてくれなくてもかまわないし、信じてくれる方がわたしも驚いてしまうわといって笑った。
人魚姫って外国の話だったよね、そういえば声も失っていなかったっけ、なんて思いながらおばあさんの部屋を出て挨拶をしていると、わたしの部屋の奥隣から、夕ご飯の支度をするいい匂いがした。そして、大きな声で唄っている声が聞こえてきて、思わずおばあさんと顔を見合わせて笑った。あの人、よく唄っているのよねぇ。はじめはうるさく思っていたけど、案外、上手いのよ、とおばあさんはいたずらっぽい笑みを見せた。わたしも笑って、そうなんですよね、毎日何を唄っているのか結構聴いちゃってますと答えた。

ゆうひと真珠と小さな秘密と

ページ: 1 2 3 4

この作品を
みんなにシェア

5月期作品のトップへ