時を紡ぐ箱舟
「まあ……生活していれば、その内に慣れるだろう」
そう、まだ馴染んでいないだけだ。きっと時間が解決してくれる。そう考えて、気にしないよう努めた。
しかし、ある時ふと気付いてしまった。
「広いな……」
何となく呟いた言葉は、むなしく響いて部屋に吸い込まれていく。静まり返った無駄に広い空間に、言いようのない寂しさを覚えた。
この家は、一人で暮らすには大きすぎたのかもしれない。変に生活感があるだけ、そういう印象が際立っているようにも思えた。
そんなある日、不思議なことが起こった。いつものように目覚め、いつのものように身支度をし、いつものように一杯のインスタントコーヒーで朝食を済ませようとしていた時のことだ。
ふと気が付くと、どういうわけか、テーブルの上に料理が並んでいた。バランスの良いメニューで、とても美味しそう。良い香りも漂い、触れてみると出来立てのように温かかった。
「これはどういうことだ。さっきまで何もなかったのに……」
思わず自分の感覚を疑うが、幻にしてはあまりにはっきりと感じられる。試しに皿を指で弾いてみると、カツンッと乾いた音を立てた。これであと試していないのは味覚だけだ。
正直に言えば、久々にまともな家庭的料理を見て、どうしようもなく惹かれている部分もあった。腹の虫が鳴り、口の中では唾液がわいてくる。
「とりあえず、一口くらいなら……」
確かめるためだ、と自分を納得させ、少しだけとって口へ運ぶ。おそるおそる舌の上で転がすと、見た目通りというか、期待を裏切らない味だった。
「美味しい……」
ちょっとした感動さえある。プロの料理とかそういう感じではないが、よくできていた。
特に危険もなさそうだと分かると、ついついまた手が伸びる。そして、結局、あっという間に平らげてしまった。
「ふう、こんなに満足感のある食事はいつ以来になるだろう」
警戒心や後悔も忘れて、能天気に呟く。一息ついて、ふと見ると、いつの間にか皿が全てなくなっていた。
「……消えた。幻とは思えないが、一体どういうことなんだ?」
ものを出したり消したりという手品を見たことはあるが、そういうレベルの話ではない。超常現象にしても、なぜ料理なのか。原理も意図も一切不明だった。
ただひとつ言えるのは、嫌な感じはしないということだけ。そういえば、人からよく楽天的だと言われるが、そういうことなのだろうか。いずれにしても、今はただ事実を受け入れるしかない。
時を紡ぐ箱舟