テーマ:一人暮らし

時を紡ぐ箱舟

この作品を
みんなにシェア

読者賞について

あなたが選ぶ「読者賞」

読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

閉じる

それは本当に偶然のことだった。とある不動産屋の前を通りかかった時、たまたま一枚のチラシが目に入り、妙にそれが気になった。
 どういうわけか、それだけが目立たないよう端の方に張られていたのだ。
 見せたいのか、見せたくないのか、よく分からないチラシ。何となく興味をひかれた私は、引っ越しの予定もないのに、立ち止まってそれを眺めた。
 掲載されていたのは、大きな戸建ての賃貸物件。伝統的な日本家屋といった様相の、お屋敷みたいな家だった。それだけ立派な物件で、家具まで付いているのに、家賃はというと、そこらのアパートよりも安いくらい。
 確かに古そうな家だし、立地も良くはないが、それを差し引いても好条件だろう。どうにも気になった私は、思わず不動産屋へ入って店主に尋ねた。
「あの、そこのチラシの物件なんですけど、あれ程の家で、ずいぶんと手頃な値段ですよね。何か訳があるんですか?」
 いわゆる訳あり物件というやつだろうと勘ぐってのことだが、意外にも店主は首を横に振る。
「いえ、特に何かがあるわけではありませんよ。しいて言うのであれば、遊び心ですかね」
「遊び心?」
 私が首を傾げると、店主は笑いながら頷いた。
「その一軒だけ、やけに目立たない場所に張り出してあったでしょう? なかなか目にはつかない場所です。お客様がそれを見つけられたのは、縁あればこそ。その縁や成り行きに任せてみるのも一興でしょう」
「なるほど……」
 なかなか面白いことを考える不動産屋だ。本気かどうかはともかく、その紳士的な態度とあわせて、洒落た印象を受ける。そうなると、私もすっかり乗り気だった。
「では、せっかくの縁ということですから、実際に家を見せてもらってもいいですか?」
「ええ、もちろんです。では準備をしますので、少々お待ちください」
 そんな流れで、私は急遽、予定にもなかった物件の下見へ行くことになったのだ。うまく乗せられただけかもしれないが、まあ、客として満足できるなら何の問題もないだろう。

 それから、不動産屋の車で揺られること数十分。住宅街を抜けて少し行ったところに、例の家は建っていた。辺りにはちょっとした山や川、森なども見え、近くに神社もあるそうだ。人にもよるだろうが、私は好きな風景だった。
 そして、瓦屋根のついた立派な門をくぐると、いよいよ家とご対面だ。
 石畳の道が続く先にあるのは、木造二階建ての、まさにお屋敷。確か、入母屋造りというのではなかったろうか。見事な屋根で、格式高い印象を受ける。想像以上に立派な家構えだ。

時を紡ぐ箱舟

ページ: 1 2 3 4 5 6 7 8

この作品を
みんなにシェア

4月期作品のトップへ