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隣の秘密

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「うん。あの、改めて、私、丸山美紀って言います」
「えっ?」
「下の名前、言ってなかったから」
「ああ、そうでしたね。美紀さん。いい名前ですね」
「ありがとう。役者さんだったんだね」
「役者の卵です。迷惑な行為なのに、セリフを合わせてもらって」
「迷惑だなんて。余計なお世話やっちゃった」
「いえ、うれしかったです。舞台、今週の日曜日なんです。リラックスホールで」
「へぇ、大きいとこだよね」
「はい、13時からです。よかったらこれチケット。もし来れたらで。ただ、チケット代が」
「2千円ね」
「当日でいいので」
「わかった。あれ? 電話鳴ってる。私の部屋からだ。じゃあ、ロミオ頑張って!」
「えっと、あの……」
 美紀は陸ともっともっと一緒に話していたい反面、照れくさいのとなんともいえない気持ちで急いで部屋に入った。家に入ると電話は切れていた。春香からだった。もう邪魔してと思ったが、春香がロミオとジュリエットだと教えてくれたんだ。
(今度の日曜、楽しみだな)
 そして日曜日になった。客席はほぼ満席。美紀の席は一番後ろ。美紀はワクワクしながら、開演を待った。こんなに心がトキメクのはいつぶりだろう。なにか乙女に戻った気分だった。さあ、幕が開く! しばらくして、ロミオが出てきた! 美紀は固唾をのむ。美紀は目は余りよくないから、メガネをかけて来ている。もちろん役者は扮装している。目を凝らして見る。違う、陸ではない。結局陸は、モンタギュ―家のその他大勢の役で、セリフも群衆に紛れて、一言、二言だった。
 舞台終わり、美紀は劇場近くの公園のベンチでぼ―っとしていた。陸はあの時、自分はロミオじゃないと言おうとしたのだろうと、マンションの廊下での会話を反芻していた。舞台鑑賞中、主役のロミオに、陸の顔と声を想像でかぶせてみたりした。
(陸くんだって、いつかロミオできるわよ)
 陸が肩を落として歩いて来る。
「陸くん……陸! 沢井陸!」
 沢井陸が驚いて美紀の方を見る。陸が美紀の元に来て、気まずそうに、
「あの……」
「ごめんね。私思い込み激しいから。あの時、説明しようとしたんだよね」
「いえ、僕が曖昧にして、嘘ついて」
「私だって嘘ついたよ」
「えっ?」
「コロッケ、あれ、商店街で買ったの」
 陸が思わず吹き出す。
「なに?」
「美紀さんて正直なんですね」
「いや、だから、嘘ついたんだって」
 二人が笑い合う。
 少し緊迫した空気が流れて、美紀は唯一記憶しているセリフを言った。

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