テーマ:ご当地物語 / 神保町

珈琲奇譚

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「二十円?!」
 そこはまさしく、さっきまでホームズ氏が座って、コーヒーを飲んでいた席だった。
フライパンを温めながら、半分上の空で「消費税だろう」と言うと、
「消費税じゃない。二十円」
妻はきっぱりと断言した。大きな金色のコインを、顔の前で、まじまじ検分している。「大正八年、だって」
「はあ?」ひとまず火を止め、手のひらにコインを受け取った。ピカピカの金色で、やけにずっしりしている。たしかに、菊の紋の下に「二十圓」とあった。五百円玉と同じか、それより少し大きい気がする。何かのメダルみたいでもある。裏返してみた。二十圓、大日本、大正八年。中央に、八弁の花が子細に彫ってある。
「へえー、二十圓金貨ですか」
騒ぎを聞きつけた四人組の女性の一人が、ぬっとのぞきこんできた。
「金貨?」私は耳を疑った。「日本に、金貨なんてあるんですか。それとも、記念コインか何か?」
「昔はあったんですよ。二十圓だけじゃなくて、ほかにも、五圓金貨とか、十圓金貨とか。今は古銭でしか流通していないですけどね。あ、私、古銭コレクターなんで」
青い色縁眼鏡をかけたその女性は、得意そうにフフと含み笑った。「大正八年というと、関東大震災前ですね。今の金額に換算すると、十五万から二十万円相当かな。こんなに綺麗な状態の金貨はめったにないですよ。本物だったら、いい値で売れると思うな」
いくらくらい? と四人組の誰かが言った。テーブル席にちらりと流し目をくれながら、彼女は答えた。「三十代OLの月給くらい」
 黄色い声が上がり、テーブル席で新たなお喋りが始まった。
私は、茫然と立っていたように思う。
「まだあるの」と、妻が私に声をひそめた。「これも一緒に置いてあった」
 妻が見せてくれたのは、出羽三山のお札だった。薄茶色に日やけて、かなりの年代物に見える。かすかにお香のにおいがした。
「忘れ物なんじゃないかしら」と、心配そうに妻が言った。
「どうかな」と私は言った。「二つとも、うっかり忘れるようなものには見えないけれど。それに、もし忘れ物なら、わざわざ紙ナプキンを敷いたりしないんじゃないか」
 カウンターの上には、紙ナプキンが二枚並んで残っていた。妻が言うには、この上に、金貨とお札がそろえて置いてあったらしい。
「不思議ね」と、夢を見ているように妻がささやいた。
「うち山形の実家では、代々、子供を授かると、出羽三山のお札をもらってくるのが慣わしなの。これを身につけていれば、きっと安産になるから、って。ちょうど昨夜、母が電話で、そろそろいただいてくるわね、と話していたところなの」

珈琲奇譚

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