Room172

パリに咲くエトワール

2026.03.09

華やかかりしベル・エポック

中庭があるパリ2区のアパルトマン

監督谷口悟朗

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20世紀初頭のパリ。日本で一度だけ会ったことのあったフジコ(當真あみ)と千鶴(嵐莉菜)は偶然再会を果たす。フジコは画家を、千鶴はなぎなたの名手ながらバレリーナになる夢を追っている……。アニメーション映画『パリに咲くエトワール』は、『ONE PIECE FILM RED』『コードギアス 反逆のルルーシュ』の谷口悟朗によるオリジナル長編だ。徹底的に取材をもとに、ベル・エポックの花の都が描かれている。

自分たちが培ってきた技術

パリを描くのにあたって、谷口監督は現地を訪れている。
「実際に行ってみないと分からないところが多々ありました。何が揃えば自分のなかで納得が得られるのかは、うまく説明ができません。ただ、『これはいける』と思える瞬間があるんです。それは今回、ロケハンに行ったから思えたことです」
リサーチは徹底的におこなわれた。
「ロケハンには2回おこなっています。最初はシナリオをつくるため、2回目は美術チームが実際に登場する場所を確認するために行きました。それとは別に、リサーチャーの白土晴一さんの指揮のもと、現地でいろいろ調べていただくフランスチームもありました。わからないところがあれば、その場所へ足を運んでもらったり、国立図書館で資料を調べてもらったんです。その他、振り付けについて調べてもらうチームもありました」

フジコが最初に住むアパルトマンは、市の中心部、パサージュ(伝統的なアーケード街)やオペラ座を有するパリ2区に建っている。
「緑豊かな中庭があるアパルトマンです。街中には街路樹くらいしか緑はありませんが、自分たちのパーソナルスペースには緑があふれている。それだけ裕福だということです。フジコの部屋も本来ならばカップルや子どものいる家族が住むような、一人暮らしには広すぎる物件です」

アパルトマンの階上から見える中庭。「石造りの人工建造物と緑の対比は大きなポイントでした。美術監督の金子雄司さんがバランスに配慮くださったところです。この作品は手描きが多く、デジタルで描かれたアニメーションと違って、よい味でのファジー感があります。美術チームの方にはご苦労いただきました」

フジコは実家からの仕送りでこの物件に暮らしている。
「現代で言えば、地方から出てきた女子大生が両親のお金で白金のタワーマンションに住んでいるようなものです。両親としても、一人娘を危ないエリアに済ませたくないと考えるのは当然ですからね」
モデルにしたのは、当時から建っているアパルトマン。
「水道や電気工事など手が入ってはいましたが、建物の構造が変わっているわけではないので、じっくりリサーチしました。そのロケハンと、現存する資料から設定を詰めていったんです。フジコの部屋は、リビングとベッドルーム、水回りに分けられている相当よい物件です」

フジコの暮らす部屋。「壁紙の意匠はアールヌーヴォー調です。第一次世界大戦以降の流行はアールデコに移っていくんですけどね」
劇中、フジコは転居を強いられるが「ベッドとかは置いていっています。それは家具が備え付けだから」そのため引越しの際は最小限の荷物で済んでいる。

ルスラン(早乙女太一)と、千鶴にバレエを教えるその母・オルガ(門脇麦)も同じアパルトマンに住んでいる。
「移民で貧困なルスランとオルガは、本来ならば物置のようなスペースに住んでいます。韓国映画の『パラサイト 半地下の家族』ではないですが、半地下の物件で、フジコの部屋のように電気が十全に通っているわけではありません。パリは水没しやすい街。セーヌ川が氾濫すると浸水してしまうような格安物件です」
立地は漠然と「2区」ではなく、「アメリカ大使館の斜め向かいに位置する」など、詳細な設定がなされている。
「細かな設定を詰めていないことには描写ができないからです。冒頭のフジコがパリを歩く場面にしても、そのとき太陽はどこにあるのか、川のせせらぎはどっち側から聞こえるのか。はっきりしないとシーンが描けない」

フジコが住む部屋とは少し離れたところにあるルスランとオルガが住む半地下の部屋。右にあるのは通りへと出るトンネル。
ルスランとオルガが住む半地下の部屋。「当時のパリには、現代の基準で考えれば粗いつくりではありますが、すでに上下水道が存在していました。ただしこの部屋には最低限の物しかありません」
ルスランのピアノは一段下がったところに設置。「半地下でフラットな面ではないということを表現しています。ピアノ専用の設置スペースではなく、へこんだスペースを利用して置いたという設定です」

細かな設定はほかにもある。
「勉強し直さないとわからないところでいうと、例えば石畳の構造は時代によっても地域によっても異なります。大通りと狭い道路では水はけも違うから、道路幅とそれに対する道路断面の傾斜角にも違いがある。そういうレベルから詰めていかないと、この作品はつくれませんでした」

とはいえ、すべてをリアルに描いているわけではない。
「例えば当時のフランスには犬肉を扱う肉屋がありました。食文化としての物ではないんですがね。でも本編には主要なキャラクターとして犬が登場することから、それを想起させる表現はやめておこう、と。意図的に描くことをやめた『リアル』は少なくありません。

それは日本の時代劇で、みんながお歯黒をしているわけではなかったり、当時の侍言葉でしゃべっていないのと同じ発想です。昨今のアニメ業界では、ややもすると写実的であることが立派であるというような考え方がありますが、それはどうかと感じています。やはり描くものは取捨選択すべきです。どこを強調してどこを省略して見せていくかが重要だと思います」

省略された描写にはこんなものもある。
「当時のパリは馬を中心とした動物の糞尿だらけ。ゴミの問題だってあります。それらがテーマに則していれば別ですが、そうじゃなければ描いたところで、観ている人はたのしくないですよね。それに、観客がいまの衛生観念で、当時の価値観をジャッジしてしまい、映像に没入できなくなるようなことはさけたかった。なので、劇中の喫煙者もできるだけ意図的に減らしています」

虚実のバランスについて、監督の基準はどこにあるのだろう。
「『キャラクターが生活している』という説得力があるかどうかです。道は都市の動線なので、主要な動線の近くに住んでいる人は金持ちでしょうし、入り組んでいるところはデメリットがある分、家賃が安いはず。高い土地に住んでいるのか、低いところなのか、そういうことをひっくるめて、生活に説得力を感じられるかで判断しています」
今作で一番大変だったことをお聞きすると……。

「すべてが面倒くさかったです(笑)。歩いているキャラクターがいるとして、このとき何が見えているのか。日陰から明るいところに出たら、どれぐらいの明るさになるのか。バレエの所作で関節の使い方はこれでいいのか。なぎなたの表現に関しても重心はどこにあるのか……。など、ほぼ全カットに渡って勝手につくるわけにはいかない。小物のひとつひとつもいちいち調べなければいけない。表面が皮と布のでは作画も色も変わりますからね。こんなに面倒くさいことは、業界に入ってからぶっちぎりの第一位です。舞台を不思議の国みたいにしておけば、どれだけ楽だったことか(笑)」

とはいうものの、劇場作品ならばそれらの作業は当たり前だという。
「この映画では特別なことは何ひとつやっていません。例えばバレエの場面は振り付けをモーションキャプチャーして、それを作画に落とし込んでいく方法。ピアノは実写を参考に。なぎなたの殺陣なら部分的にCGを組んで、それを参考にしつつも手描きでアクションをつける手法と、ゼロベースから作画していく手法を取り混ぜること。妖精が飛んでくる場面のように、キャラクター原案の近藤勝也さんが一人で鉛筆で描いたシーンもあります。いままでにあった私のなかでよいと思える手法をできる限り使っている、ということですね」

それらは日本のアニメーションの歴史で培われてきたものでもある。
「映画『国宝』でいうと、題材の歌舞伎自体が既にそうですが、美術、小物のつくり方のひとつひとつを支えているのは、日本映画の歴史、育まれてきた技術によるもの。言ってしまえば、今作はそれと一緒です。今作が伝承につながるのか、最後の徒花になるのか、それは分かりません。少なくとも私や今回関わったスタッフからすると、“自分たちが見知ってきた、もしくは培ってきた技術はこうです”というものを形にすることができたと思います」

惜しくもそこから漏れた手法が唯一あった。
「隙間がなかったので入れなかったんですけど、本当は切り紙アニメも入れたかったんです。紙を平面上で動かす表現ですが、日本のアニメはそこからスタートしたので。まぁ、それを言い出したら人形アニメはどうなんだ、影絵アニメは?とかになってしまうので、また何かの機会があれば、と言うところですかね」

1870年頃に建てられたアパルトマン。石造りは1800年代中期から1900年代初頭までのオーソドックスな工法。リビングと寝室、水回りの部屋が分かれている。共同の螺旋階段の手すりをはじめとして、当時の流行だったアールヌーヴォー調の装飾が多々施されている。

映像カルチャーマガジン・ピクトアップ#159 (4月号2026年2月13日発売)『パリに咲くエトワール』の美術について、監督・谷口さんのインタビューを掲載。

Profile

プロフィール

監督

谷口悟朗

taniguchi goro

66年愛知県生まれ。日本映画学校(現・日本映画大学)を経てアニメーション業界へ。『無限のリヴァイアス』(99)でTVシリーズ初監督。代表作には、大ヒット作『コードギアス 反逆のルルーシュ』シリーズ(2001)。2022年に手がけた『ONE PIECE FILM RED』は国内興収200億円を超える大ヒットとなった。

Movie

映画情報

パリに咲くエトワール
監督/谷口悟朗 原作/谷口悟朗 BNF ARVO 脚本/吉田玲子 出演/當真あみ 嵐莉菜 配給/松竹 (26/日本/119min) 20世紀初頭のパリ。画家を夢見るフジコは、ナギナタの名手だがバレエに心惹かれる千鶴と、5年ぶりの再会を果たす。千鶴の夢を知るフジコは、同じアパルトマンに暮らす青年ルスランの母親がバレリーナだったことを知り、レッスンを依頼。そんな矢先、フジコの保護者である叔父が失踪し……。3/13~全国公開 ©「パリに咲くエトワール」製作委員会
パリに咲くエトワール公式HP