Room153

愛に乱暴

2024.08.29

同じ敷地内の母屋には義母が暮らす

不穏な出来事にさいなまれる主婦の住まい

美術松永桂子

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これまで『悪人』(10)、『横道世之介』(13)、『湖の女たち』(24)など、数多くの作品が映画化されてきた小説家・吉田修一。CMディレクターとして著名な森ガキ侑大監督が、映画化を熱望した『愛に乱暴』。主人公の桃子を演じるのは江口のりこ。夫・真守(小泉孝太郎)や義母・照子(風吹ジュン)との関係に変化を来たし、居場所を奪われていく主婦の物語だ。美術の松永桂子さんは、桃子が家族と暮らす住まいを丁寧につくりあげた。

俳優の動作や雰囲気からキャラクターを把握してイメージを広げる

桃子夫妻の住まいのロケセット探しが始まる前、監督やスタッフとイメージを共有するために、松永さんは画を描いて資料として手渡した。

「桃子夫妻が暮らす離れと義母・照子が住む母屋は同じ敷地に建っている設定です。母屋と離れが同じ画面に収まっているイメージが浮かんで、その位置関係を描きました」制作部が1年も探し回った末、条件に合った物件がやっと見つかる。ただしイメージと相入れない要素が一点あった。母屋と離れが廊下で繋がっていたのだ

正面に見える離れと、左側の母屋。桃子夫婦と照子の関係を表すために、この位置関係はロケセット探しの重要なポイントだった。

桃子夫妻の生活空間と照子の生活空間が地続きになっていることに違和感がありました。行き来する際は、“一度外に出る”という距離感が合っていると思ったんです。『ゴミありますか?』と聞くくらいの些細なやりとりですら、いったん靴を履いて伺いに行く、という感じです」

結果、廊下は取り壊すことになった。だが、それ以上に大きく手を入れたスペースは床下だった。桃子が和室の畳を外し、床板をチェーンソーで切って床下に入るシーンがあるのだ。

桃子がチェーンソーで床板を切ることになる和室。
「桃子が洗濯物にアイロンがけをしたり、出張から帰ってきた
真守のスーツケースを置いたり、桃子の両親が来た際に客間と
して使用するくらいで、ふだんはものがあまりない部屋です」。
床板を切る際に桃子が使用するチェーンソー。監督がイメージした色味は赤だった。

「床下のシーンは撮影が難しいので、セットをつくることになるだろうと思っていたんです。ところがいろいろな都合でロケセットに。
現場で『ここを掘ってほしい』と言われたときは『えっ?』となりました(笑)」
桃子が入るスペースだけでなく、その様子を撮るための機材を配置する空間も必要なため、和室二間の床板をいったんすべて外し、床下の土全体を30cm掘り下げることに。その作業はスタッフ総動員でおこなわれた。
「カメラマンさんも照明技師さんも、みんな泥んこになっていました(笑)」

土木工事的なつくり込みの一方、室内のディテールはどのようにつくられていったのだろう。
「もともと離れには真守、照子の母子が住んでいて、桃子が嫁いだことを機に、照子が母屋に移り住んだという設定です。照子が残していった棚など、以前の面影も残っていますが、室内のほとんどは桃子のキャラクターを反映させて飾り付けました。ただ仕込みの段階では、桃子がどういう人なのかを100%理解できていませんでした。探り探りでいったん飾りましたが、“こういう人なんだ”というイメージをつかめたのは、江口さんが現場にいらっしゃってからです
江口さんの動作や雰囲気から桃子像を把握して、アイテムのセレクトや配置を変えたり、外したりしていきました。真守は〈つかめない人〉というか、こだわりのない人なので、彼のキャラクターはほとんど反映されていません」

居間に置かれたテレビのまわりにも桃子のキャラクターがにじんでいる。「とくに飾り込んではいませんが、桃子が気持ちのいい空間をつくろうとしている感じを出そうと思いました」だった。
台所。料理上手な桃子は、調味料や鍋類を整然と並べている。淡い青緑色のきれいなタイルは、お借りした物件にあったものをそのまま利用。

桃子は主婦業のかたわら、近所で手づくり石鹸教室を開き、講師を務めている。
「真守のシャツを匂ったり、石鹸をつくる場面があります。アイデア出しの段階で、スタイリストの望月恵さんが『夫の浮気についても、たぶん匂いで分かる人なんだろうね。桃子は』とおっしゃっていたこともヒントになりました。匂いに敏感だから、料理も得意だろうな、きれい好きだろうな、とイメージを広げて飾り付けをしていきました」

下駄箱の上には、スティック状のディフューザーが。匂いに敏感な桃子が置いたであろうことが容易に想像できる。
週に2回、手づくり石鹸教室の講師をしている桃子がつくった石鹸。ハーブなどが配合されているという設定。

桃子がチェーンソーで床板を切るシーンの準備は、土を掘るだけではなかった。
「切る場所はどこがよいか、どのくらいのサイズかなど、事前に何回も検証をしました。演技中に江口さんが落ちてしまってはいけないので、どういう仕込みにするかも考えて。畳を外したときの床板や、床板を切り落としたときに顔を出す地面の色味も調整しています」

子どもの頃の真守の身長を刻んだ柱に、かつての母子の暮らしが垣間見える。「もともとあった壁を取り払って柱を設置しました。キッチンと居間やベランダを行き来する際にときどきぶつかってしまうので、桃子は『この柱、憎い』と思っている。でもそこには真守の成長が刻まれていて……という複雑な心情を象徴しています。実際、江口さんもぶつかってイラッとする芝居をしてくださいました」

これほど物件に手を入れる撮影に欠かせなかったのは、大家さんの協力だ。
「大家さんは、母屋に住んでいらっしゃったのですが、一緒にご飯を食べたりして、スタッフ全員が大家さんの親戚みたいな不思議な関係でした。とくにラインプロデューサーの松村龍一さんがとてもよい関係を築いてくれたんです。
当初お伝えしていた撮影期間が延びてしまったり、離れだけをお借りするはずが、照子のシーンを母屋のなかで撮影させていただいたり。大家さんは『だまされた』と笑いながらすべて承諾してくださいました(笑)」

夫妻が住んでいる離れは、平屋の3LDK。真守が幼い頃に住み始めていた建物で、築年数は40年ほど経っている。東京近郊という設定だが、撮影は神奈川県綾瀬市にある物件をお借りしておこなわれた。

映像カルチャーマガジン・ピクトアップ#150(10月号2024年8月16日発売)『愛に乱暴』の美術について、美術・松永さんのインタビューを掲載。

Profile

プロフィール

美術

松永桂子

matsunaga keiko

83年京都府生まれ。08年より映画、ドラマ、CMなどの美術として活動。近作に、映画『犬鳴村』『his』(ともに20)、『さんかく窓の外側は夜』(21)、『やがて海へと届く』『今夜、世界からこの恋が消えても』(ともに22)、『熱のあとに』(24)、ドラマ『旅するサンドイッチ』『ロマンス暴風域』(ともに22)などがある。

Movie

映画情報

愛に乱暴
監督・脚本/森ガキ侑大 原作/吉田修一 脚本/山﨑佐保子 鈴木史子 出演/江口のりこ 小泉孝太郎 馬場ふみか / 風吹ジュン ほか 配給/東京テアトル(24/日本/105min) 夫の実家の敷地内に建つ離れで暮らす桃子は、母屋に住む義母にも気配りしながら〈丁寧な暮らし〉に勤しんでいる。しかし周囲では、ゴミ捨て場の不審火、愛猫の失踪、偶然目にした不倫アカウントなど、不穏な出来事が増えてきて……。8/30~全国公開 ©2013吉田修一/新潮社 ©2024「愛に乱暴」製作委員会
愛に乱暴公式HP