これまで『悪人』(10)、『横道世之介』(13)、『湖の女たち』(24)など、数多くの作品が映画化されてきた小説家・吉田修一。CMディレクターとして著名な森ガキ侑大監督が、映画化を熱望した『愛に乱暴』。主人公の桃子を演じるのは江口のりこ。夫・真守(小泉孝太郎)や義母・照子(風吹ジュン)との関係に変化を来たし、居場所を奪われていく主婦の物語だ。美術の松永桂子さんは、桃子が家族と暮らす住まいを丁寧につくりあげた。
俳優の動作や雰囲気からキャラクターを把握してイメージを広げる
桃子夫妻の住まいのロケセット探しが始まる前、監督やスタッフとイメージを共有するために、松永さんは画を描いて資料として手渡した。
「桃子夫妻が暮らす離れと義母・照子が住む母屋は同じ敷地に建っている設定です。母屋と離れが同じ画面に収まっているイメージが浮かんで、その位置関係を描きました」制作部が1年も探し回った末、条件に合った物件がやっと見つかる。ただしイメージと相入れない要素が一点あった。母屋と離れが廊下で繋がっていたのだ


桃子夫妻の生活空間と照子の生活空間が地続きになっていることに違和感がありました。行き来する際は、“一度外に出る”という距離感が合っていると思ったんです。『ゴミありますか?』と聞くくらいの些細なやりとりですら、いったん靴を履いて伺いに行く、という感じです」
結果、廊下は取り壊すことになった。だが、それ以上に大きく手を入れたスペースは床下だった。桃子が和室の畳を外し、床板をチェーンソーで切って床下に入るシーンがあるのだ。
「床下のシーンは撮影が難しいので、セットをつくることになるだろうと思っていたんです。ところがいろいろな都合でロケセットに。
現場で『ここを掘ってほしい』と言われたときは『えっ?』となりました(笑)」
桃子が入るスペースだけでなく、その様子を撮るための機材を配置する空間も必要なため、和室二間の床板をいったんすべて外し、床下の土全体を30cm掘り下げることに。その作業はスタッフ総動員でおこなわれた。
「カメラマンさんも照明技師さんも、みんな泥んこになっていました(笑)」

土木工事的なつくり込みの一方、室内のディテールはどのようにつくられていったのだろう。
「もともと離れには真守、照子の母子が住んでいて、桃子が嫁いだことを機に、照子が母屋に移り住んだという設定です。照子が残していった棚など、以前の面影も残っていますが、室内のほとんどは桃子のキャラクターを反映させて飾り付けました。ただ仕込みの段階では、桃子がどういう人なのかを100%理解できていませんでした。探り探りでいったん飾りましたが、“こういう人なんだ”というイメージをつかめたのは、江口さんが現場にいらっしゃってからです
江口さんの動作や雰囲気から桃子像を把握して、アイテムのセレクトや配置を変えたり、外したりしていきました。真守は〈つかめない人〉というか、こだわりのない人なので、彼のキャラクターはほとんど反映されていません」



桃子は主婦業のかたわら、近所で手づくり石鹸教室を開き、講師を務めている。
「真守のシャツを匂ったり、石鹸をつくる場面があります。アイデア出しの段階で、スタイリストの望月恵さんが『夫の浮気についても、たぶん匂いで分かる人なんだろうね。桃子は』とおっしゃっていたこともヒントになりました。匂いに敏感だから、料理も得意だろうな、きれい好きだろうな、とイメージを広げて飾り付けをしていきました」
桃子がチェーンソーで床板を切るシーンの準備は、土を掘るだけではなかった。
「切る場所はどこがよいか、どのくらいのサイズかなど、事前に何回も検証をしました。演技中に江口さんが落ちてしまってはいけないので、どういう仕込みにするかも考えて。畳を外したときの床板や、床板を切り落としたときに顔を出す地面の色味も調整しています」

これほど物件に手を入れる撮影に欠かせなかったのは、大家さんの協力だ。
「大家さんは、母屋に住んでいらっしゃったのですが、一緒にご飯を食べたりして、スタッフ全員が大家さんの親戚みたいな不思議な関係でした。とくにラインプロデューサーの松村龍一さんがとてもよい関係を築いてくれたんです。
当初お伝えしていた撮影期間が延びてしまったり、離れだけをお借りするはずが、照子のシーンを母屋のなかで撮影させていただいたり。大家さんは『だまされた』と笑いながらすべて承諾してくださいました(笑)」



映像カルチャーマガジン・ピクトアップ#150(10月号2024年8月16日発売)『愛に乱暴』の美術について、美術・松永さんのインタビューを掲載。
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