街のコト

「西京高校」「西京銀行」がなぜ山口県に存在するのか

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(Jタウンネットより)

国民の祝日だった2015年2月11日、東京千代田区のJR有楽町駅周辺は大勢の買物客でにぎわっていた。14時30分頃、東京交通会館の前を歩いていた筆者は、数カ所に立てられた幟(のぼり)に目が止まった。

西京高等学校

1階の交通会館マルシェでは、制服&エプロン姿の高校生男女が商品を販売している。
「京都府西京区からやってきたのかな…。東京の名前が付く場所でセールスするなんて、よく見れば面白い」くらいに筆者は思っていたのが、テーブル上に並ぶ商品を見て驚いた。ふぐの骨せんべいとか、商品がどれも京都っぽくないのである。

よくよく聞くと彼らは山口市にある県立高校で、修学旅行で上京し、体験学習の一環としてマルシェで販売員をしているのだという。

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山口県立西京高等学校(Wiki708さん撮影、Wikimedia Commonsより)

山口が小京都として町おこしをしているのは知っていたが、西京を名乗る学校があるとは――。調べてみれば、「西京」と名の付く施設や銀行、メディア、企業、お店が県内のあちこちにあるではないか。
自治体としての山口市が「西京」で売り出しているわけではないようだが……。下のリストはほんの一例だ。

西京スタジアム西京銀行サンデー西京(フリーペーパー)

※西京銀行の本店は周南市にある。

西京スタジアム正面の外観及びモニュメント(TT mk2さん撮影、Wikimedia Commonsより)
西京スタジアム正面の外観及びモニュメント(TT mk2さん撮影、Wikimedia Commonsより)

≪キャプ≫【TVCM】 さいきょうのきゅうふり〜フレッシュマン篇 「西京銀行×山口美人時計」(YouTubeより)http://youtu.be/HTwhJSGgf_Q

なぜ山口が西京と呼ばれるのか?

東京→TOKYO、中京→名古屋はほとんどの日本人が受け入れている言い方だが、西京→山口となると、抵抗感のある人もいることだろう。

しかしながら山口は、室町時代の領主大内氏が京都を模した町づくりを行った。大内氏が国際貿易の要所を握っていたこともあり、「西の京」と呼ばれるほどの繁栄を誇った。市内には八坂神社や清水寺もある。
約600年前から八坂神社で行われている山口祇園祭。その有名なエピソードといえば、京都で一度廃れた伝統舞踊「鷺舞」だ。山口と津和野に継承され、昭和30年代、京都に逆輸入されて復活したという。

全国京都会議に加盟する自治体は、京都市を含め全国に49あり、そのうち京都市より西に位置するのは24市町だ。その中で山口(の一部)が「西京」を名乗るのには、それなりの実績があってのことに違いない。

大内氏の山口支配は戦国時代末期に終焉を迎え、江戸時代に入ると行政の中心地ではなくなる。

次々と周辺の町村を合併したおかげで、現在の山口市の面積は福岡市の3倍、東京23区の1.64倍もある。それでも県庁所在地としての人口は鳥取市や甲府市(山梨県)と最下位を争い、20万人に満たない。

黄色く塗ったところが現在の山口市(山口県公式サイト資料を編集部が加工)
黄色く塗ったところが現在の山口市(山口県公式サイト資料を編集部が加工)

北九州市が「西京」になっていたかもしれない

ところで、福岡県で最初に政令指定都市になった北九州市は、1963年に門司・小倉・戸畑・八幡・若松の5市による新設合併により誕生した。その新市名を決める公募で最も多かったのが「西京市」だった。

これで決まりかけていたところ、ある長老が「天子様がおられた歴史がないのに、京と名乗っていいのかなあ」とつぶやいたところ、5市の市長と議長の特別委員会の雰囲気は一変。「西京」を名乗るのはやっぱりよくないという方向になり、2番目に公募数の多かった北九州に決まったという。西日本シティ銀行の公式サイトで、北九州都市協会会長・出口隆さんが当時の事情を振り返っている。

ちなみに山口県の西京高校が開校したのは1986年で、山口相互銀行が西京銀行に改称したのは1989年、西京スタジアムは1995年に開場している。

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