テーマ:一人暮らし

ねこのほね、みみずのなきごえ

この作品を
みんなにシェア

読者賞について

あなたが選ぶ「読者賞」

読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

閉じる

 それはね、猫の骨だよ。
 愛佳は愛おしそうに微笑んだ。

 蝶番を軋ませないように慎重にドアを開ける。電気はついていないが浴室から漏れる光で十分明るい。一歩、二歩、三歩、足を進める。
「――何してるの?」
息を呑む。もうばれた、だと。いや、カマをかけているだけかもしれない。息を潜めて壁際に身体を押し付ける。
「こら、そこにいるのわかってるんだから」
ぱしゃり、浴室の曇りガラス扉に内側から水が飛んでくる。
「もうすぐ上がるからお部屋戻ってて、ララ」
「……にゃあ」
 負け惜しみに一声唸り、苛立ちと失望を抱えてすごすごと洗面所をあとにした。今日こそは、と意気込んでいたのに。
 愛佳は風呂上がり直後の姿を見られることを嫌う。本人曰く、一日の中で最もすっぴんなタイミングだから、らしい。浴室を出てから部屋に現れるまでの空白の時間帯は、おれには解明不明のブラックボックスだ。
温い湿気に満ちた洗面所から冷房の効いた部屋に戻ると、汗をかいた首筋がすっと冷えて気持ちがいい。テレビをつけると溢れ出す騒々しい笑い声がきっちりと整頓された小さな空間に反響する。
白いフローリングの板の目に沿って柔らかな紺のラグがぴたりと引かれ、壁際のラックには本が高さの順に並べられ雑誌が等間隔で差し込まれている。グリーンのソファには埃一つ髪の毛一本落ちていたことはなく、クッションはいつでも完璧な角度で据え付けられている。ローテーブルのリモコンやメモ用紙といった小物は洒落た籐籠に納められているので、いざ必要なときに行方不明ということもない。洗濯物は乾くと同時に畳まれアイロンがけされクローゼットの中、カーテンレールにワイシャツが何枚もぶら下がりっぱなしのおれの部屋では全く考えられないことだ。
愛佳と付き合い始めてから月に三、四回の頻度で泊まっているが、この部屋が散らかっているのを今までに一度も見たことがなかった。飲み会で遅くなって急に押し掛けた時や、サプライズで朝一番にインターホンを鳴らした時でさえも。
簡単なことだよ、と愛佳は言った。それがルールなの。
それはとても立派で素晴らしいことで、そうして管理されたこの空間は清潔で居心地がよい、筈なのだが。
おれはラグを引っ張って斜めにし角を捲り上げる。ラックから適当に引っ張り出してきた雑誌をぱらぱら眺め飽きたところで放り出し、クッションを蹴飛ばしてソファに寝転がり、伸ばした手の先で籠の中身をローテーブルにぶちまける。

ねこのほね、みみずのなきごえ

ページ: 1 2 3 4 5 6 7

この作品を
みんなにシェア

7月期作品のトップへ