テーマ:お隣さん

夕陽のドーナッツ

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 思えば、存在しているというだけで誰かを幸せにしているなんてすごいことだ。わたしは誰かを幸せにしているだろうか。田中さんや向かいのおばあちゃんは。街を舞うカップルたちや、酔いどれのお客さんたちはどうだろう。
 仕込みは昨夜のうちに終わっていたが、昨日のメモや冷蔵庫を点検すると、少し買い物があるのに気がついた。開店の準備をミホちゃんに任せ、10分くらいでもどると言い残し、わたしは階段をかけおりて店を出る。
 必要な買い物を済ませトイレットペーパーとレジ袋を下げ、店に戻ろうと商店街を歩いていると、おや、とあしが止まる。急に立ち止まった迷惑を追い抜い抜く向訝な顔を見る。出勤途中に列をなしていた評判のドーナツ屋の前に、ママと少年の姿を見つけたのだった。驚いて、というより、無意識に近い感覚で、わたしはドーナツ屋の列に並んでしまった。親子はわたしの二つ前に立っている。二人は手をつないでいた。日よけの麦わら帽子にクリーム色のワンピースを着たママは、つないだ手をしっかりと握ったまま、すこし帽子を傾けて少年になにか言葉をかけている。少年は日焼けした顔でママを見上げ、花に例えるなら、ガーベラのように笑うのだった。
 わたしはつないだ手と手を見ていた。ずっと見つめていた。二人はつながっている。それは深い土の中で、根と根が栄養を送り合っているようだと思った。
 親子はドーナツの包みを受けとると、手をつないだままマンションの方に向かって歩いていく。親子は真横を通っていったがわたしに気がつかない。後ろ姿を目が追う。ようやく辺りの光景をそれっぽく変えた夕陽が、二人の背中だけを選んで押している。少年のころに見た唱歌本の挿絵。その光景が心にかぶさって、わたしの買い物はまったりとなった。
 ドーナツを四つも買って店にもどる。笑顔がおかえりなさいといった。ミホちゃんは脇をしめて美味しそうにドーナツをほうばっている。わたしも手にとってほうばった。美味しい。なんて美味しいんだろう。ドーナツは夕陽を吸って豊富な味がする。

夕陽のドーナッツ

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