忘れ雪
「君は、確かにバッグを持っていたよな。事務所に入ってきたときに僕はそれを見ている……ちょっと待っていてくれないか」
五分ほどして、小山内がバッグを手に、戻ってきた。
「あ、これは俺の」
「こういうことって、あるんだなあ」
小山内は、自分の父親の行きつけだった『道連れ』の女将が青森を去る直前、最後に来た客の忘れ物を託していったこと、父親は何故かバッグの持ち主を真剣には探そうとしなかったこと、そして今日まで持ち主は判明していないこと等を、次々と大橋に語った。そしてその父親が数年前に他界する直前、
「このバッグの持ち主はいずれ必ず現れるから、それまではバッグを決して開けてはいけない」
と言っていたことも付け加えた。女将が小山内の父親に、店の最後の晩にやってきた妙な客の事を伝えていたのだろう。おやじさんは、持ち主が誰であるか見当がついていたのかもしれない。
「不思議だ。このバッグも長い旅をしていたんだなあ。おや、これは何だ」
バッグを開けて中をのぞいていた小山内が、何かに気付いて、手を突っ込んだ。ティッシュに包まれた写真が出てきた。広げてみると、大橋が、今いるそのままの格好で『道連れ』のカウンターに突っ伏して寝ているところが写っている。女将が撮ったものだろう。写真は、既にセピア色に変色していた。
二人とも、言葉が出なかった。
沈黙を破って、小山内は、大橋に笑い掛けた。
「なあ、青森に来いよ。一緒に再生の道を探さないか。仕事も、紹介するよ」
「本当に、有り難う。でも、もう一度東京で頑張ってみようかな。何だかそんな気になってきた」
「ウン、ウン。僕の先輩弁護士がね、神田で事務所を開いている。きっと良くしてくれるから、相談してみたらどうだ。君も、もう救われていい頃だよ。君は生きているじゃないか。君を大事に思っている人だってたくさんいる」
生きろ、絶対に死ぬんじゃないぞと、小山内が声を出したとき、自分が菜穂子に言った最後の言葉が重なった。
「菜穂子さんもまた、『時の旅人』だったということだろうか」
「……」
「大橋君を勇気づけることが、彼女の最後の大仕事になったんだね」
その晩、久し振りに小山内と遅くまで語り合った。史子を置いて、何故、昔好きだった女性の故郷を訪ねる気になどなったのか……史子に可哀想なことをしてしまったという思いから逃げ出したかったのだと、改めて理解した。これから、やり直しができるだろうか。酔った大橋は小山内に、史子のことばかり話していた。
忘れ雪