テーマ:ご当地物語 / 台東区上野桜木

お鮨を二貫重ねた家で

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 涸れ果てた井戸の横、お鮨を縦に二巻重ねたような小さな家に僕はひとりで住んでいる。台東区、上野桜木一丁目。オートバイ、犬の鳴き声、自転車ちりん。いつの間にやら夕暮れ時。昼寝明けの乾いた喉に、何を入れるか迷ってしまう。ビール? 小さな階段ぎしぎし降りて、鏡見ればため息。とりあえず水。二階に上がろうとすると、階段の上からヤモリが降りてきた。板の上を小走る「たたたた」という小さな音。つぶらな目、愛嬌のある指のかたち。だが、僕には触れない。呆然として固まっていたら、見失ってしまった。今この家には僕とヤモリのふたりきり。そわそわしてしまう。

 毎日、朝という名の午後1時に起きる。おまえはひとり(+ヤモリ一匹)。だがおまえには魔法のスムージーがあるじゃないか。チアシード、ゴジベリー、アサイー、ライスプロテイン、ウイートグラス、カカオニブズ。個人輸入でUSDA(米オーガニック認定)のスーパーフードたちを買いあさる。これさえ飲めば、昨夜の言い過ぎたこと、飲み過ぎたこと、恥ずかしかったこと、あれやこれやの後悔を、すべてなかったことにしてくれる。頼むよ、魔法のスムージー。さあ、飲むんだ。身も心も重いが、やるしかない。(It can only get better) 最悪の気分だったら、ここからは良くなるしかないのだから。

 僕は絵を描いて暮らしている。どうにかこうにか絵で生活できるようになったものの、それは独り身だから出来る暮らしであって、「未来の家庭」を想う時には決まって、かつて同棲していた彼女のことを考える。そう、7年前にはこの小さな家で、僕はヤモリではなく恋人と暮らしていた。大学卒業後、真っ当に就職していた彼女に随分とお世話になっていた。金銭的にも。結婚の話しを眠そうな犬のようにフラフラとかわしては、先延ばしにしていた。そんな時には決まってケンカになった。

「絵描き絵描きってうるさいけど、ただの絵の具で手の汚れた無職の男じゃない!」
「無職だけど無色じゃない、青い絵の具の魂を持った美術家だよ」
「無職と無色だなんて、ほんとに才能あんの?」と言われ、カチンときた僕は
「なにい!」とコーヒーカップを机に「たん」と置く。すると
「噴水で溺れて死んじゃえ!」と、僕のために作っていた筑前煮をゴミ箱にぶちまけ、泣きながらビニール結んでゴミ捨て場まで駆けていく。
「まず彼女に謝って、その後、タケノコや鶏肉たちにも謝らなくちゃ……」。

お鮨を二貫重ねた家で

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