野地沙麗子のお部屋事情
そうして、再び背中のリュックサックをするりと降ろすと、その中から美しい金髪を取り出してみせる。それはつやつやとした手入れの行き届いた髪であった。しかしそれとは逆に彼女は顔を曇らせた。
「でもそうしているうちに髪は何メートルも伸びてしまって…。だからこそ、私はその長い髪を物怖じせずに手に取ってくれる人がいればその人と結婚したいと思っていました。」
そうして彼女はこちらを向くと、困ったように微笑んだ。
「…まあ、嫁き遅れの世迷い事と思ってくれてもかまいません。でも私は本気なんです。ですから、そんな物件には心あたりはありませんか?」
そう言って、真剣な表情を私に向ける。
私は言葉に詰まってしまった。
おそらく、彼女も必死だったのだろう。
自分の思いを隠して、必死に望みが叶いそうな部屋を探していたのだろう。
しかし私は魔法使いのおばあさんでもなければ、妖精でもなかった。
彼女の求める男性が住んでいて、かつ髪を垂らしても問題のないバルコニーのある場所など、皆目見当もつかないのが正直な答えだった。
…だから私は、素直に答えた。
「すみません、今のところ思い当たりません」と。
すると、彼女はほんの少しだけ悲しげな顔をしてから、頭を下げた。
「そうよね、よく考えれば無茶なお願いよね。…ごめんなさい、今日はこれでおいとまさせていただきます。」
彼女はそう言うと、出した髪の毛を片付けるのもそこそこに、大急ぎで立ち上がるとドアのほうへと向かっていった。
すると、チリンと軽いベルの音がしてドアが開く。
そこに出て来たのは一人の男性であった。
「あの、外に貼り出してある、あの部屋を…!」
「…!!」
二人がぶつかる音。
弾みでリュックからあふれ出す大量の長い髪。
…私はあわてて玄関で起きた惨事の後処理をするために立ち上がった…。
…それが、一週間前の話だ。
今日も今日とて私は机を前にして、書類仕事のあいまに髪をいじる。
私の髪は常に傷んでいて赤みがかった毛先は枝毛になってカールしている。
…もう野地沙麗子はこの事務所にはやってこない。
私はちらりと事務所の窓に視線をうつした。
窓には隣アパートのベランダが見えた。
そこには仲の良い男女の姿が見える。
引っ越しをしたのだろうか、男性が段ボール箱を移動させている。
女性のほうも、それを手伝うように中の物を取り出して窓際に並べていく。
だがその短い髪は汚れないようにネッカチーフで覆ってあるものの、とても見事な金髪であった。…私はそれを見ると小さくため息をついた。
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