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ひとり暮らし

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 目を覚ますと、からだがひどく重かった。私は座布団に寝転がったまま、首だけ窓の方を向けた。そこにはいつもの日焼けしたうす茶色のカーテンがかかっている。窓の外はあいかわらず眩しい青空だ。ぼんやりとした頭で源五郎くんとのキスの感触を反すうする。一瞬、長いこと忘れていたような、刹那的な幸福の波が押し寄せる。何もかもを忘れてしまえるような、今この瞬間さえあればいいと思うような。私は今すぐ飛び起きて、走り出しそうになる。家族がいる家でもない、この四畳半の部屋でもない、どこかにある私の場所へ。からだの芯が熱くなり、エネルギーのようなものが強く強く湧き起こるのを感じる。畳の上に投げ出した手と足の先がビクッビクッと跳ねる。だけどそれは本当に一瞬のことで、エネルギーの波は唐突に去り、からだの芯はゆっくりと熱を失う。私はすぐに静かな気持ちになる。そうして少し顔をゆがめる。あはは、と心の中で声をつけてみる。そうやって少し笑ってから、起きあがって、ブランケットをたたみ、使ったマグカップを洗い、帰り支度をする。

 私の秘密のひとり暮らしは半年で終わった。誰に見つかることもなく、誰に打ち明けることもなく。これといって理由があったわけではないが、本格的な夏が始まる頃、だんだんと私の足はアパートから遠のいていった。そして私はひとり暮らしを終わらせた。
 そういえば、唯一、私のひとり暮らしを知った者がいた。猫だ。ある日、仕事をしていてふと顔を上げると、窓の外の猫と目があった。白と黒のまだら模様の、意地の悪そうな顔をした猫だった。私の顔を見ながらニャーニャーと鳴くので、その日のお昼ごはんに食べようと思って駅前で買ってきた太巻きを、ひときれ窓の外に置いてやると、猫はゆっくりと食べた。それからその猫は、たびたび窓の外にやって来てはニャーニャーと食べ物をせがんだ。
 私のひとり暮らし最後の日も猫は窓の外にやってきた。いつもみたいに鳴かないので、どうしたのかと思ってよく見ると、口に何かを咥えていた。それは、灰色の小さなネズミだった。そしてまるでサンタクロースがプレゼントを置くみたいに、そっとネズミを窓の外に置いて、意地の悪い顔で私のことをじっと見つめ、それからふいと顔をそむけてどこかへ行ってしまった。
 私は困ったあげく、マグカップにネズミの死体を入れ、窓の外の庭とも呼べない小さな土のスペースに、穴を掘ってマグカップごと埋めた。小さなマグカップの中で、ネズミは丸くなって眠っているように見えた。

ひとり暮らし

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