テーマ:二次創作 / 雨月物語 浅茅が宿

家と街と父と

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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 お父さんは一体どこでなにをしてるの? とお母さんに尋ねたことがある。偶然に、お母さんが換気扇の下でタバコを吸っているところを見てしまったときに、そう尋ねた。自分の母親がタバコを吸うという事実を知ったときは衝撃的だった。もっと衝撃を受けたのは、「お父さんには秘密にしててね」と可愛らしく言ったことだった。いつも家にいない父親に、秘密もなにもないだろう、と思った。
「こんばんは」と声を掛けられた。『ラブラドールのおばさん』だった。小学生の頃からそう呼んでいる。『ラブラドールのおばさん』は商店街で小さな本屋を経営している。店のレジにはおばさんではなく、おじさんが座り、その横にはいつも、真っ白なラブラドールという犬がいた。犬はとても賢くて、一回も吠えているのを見たことがない。お母さんはその犬を『盲導犬』と言っていた。
まだ空は明るいのに『こんばんは』と言われて少し違和感を持ったので、挨拶をするタイミングを逃した。私の前を歩く一輝は大きな声で返事をし、お父さんは軽く会釈をしていた。
「今日、お祭りよ。今から行くの?」と、おばさんは一輝に訊いた。
「僕は明日、友達と行くー」
「明日は太鼓叩くらしいから、楽しみ。おばさんも行くし、向こうで会うかもね」そう言うと、おばさんは軽く頭を下げ、手を振って去って行った。
「あれ誰や?」お父さんは、一輝に尋ねる。
「ラブラドールのおばさん!」
「ラブラドールのおばさんってなんやねん」
「ラブラドール飼ってるから、ラブラドールのおばさん。友達もみんなそう呼んでるよ」
「そのまんまやな」
 そう言えばクラスのみんなも、祭りだ、祭りだ、と言っていた。みんな、誰と一緒に行くかそわそわしていた。あと二週間も待たずとも夏休みがやってくることもあってか、みんな浮かれた顔をしていた。私も一緒に行かないか、と誘われたけれど、家の手伝いがあると嘘をついて断った。本当は、人混みの中を歩くのが面倒だっただけだ。今となっては別に行っても良かったかなあ、と思う。
「ちょっと寄ってみよか」
 一瞬、心の中を読まれたのかと思って驚いてしまい、「え?」と言葉が溢れた。
「祭り、行こうや!」お父さんが私の方へ振り返って、力強く言った。
行こ行こ! と下手くそな関西弁を使う弟はお父さんの右手を掴んで、ぶんぶんと横に振る。
「ほんじゃあ、行こかー。決まりや。一輝、案内せえ」
 クラスの誰かと出くわしたら、どうしよう。家族揃って歩いている姿を誰にも見られたくない。それに、こんなダサいサンダルを履いてくるんじゃなかった、と私はとても後悔した。今からでも家に走って履き替えてくるべきか悩んだけれど、それをどう説明すべきか難しいので、少し距離をとって歩くことに私は決めた。

家と街と父と

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