テーマ:ご当地物語 / 静岡県伊豆の国市

灯のともる場所で

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 今でものどかな風景の残る伊豆の国市は、田中山のふもと。のんべんだらりと談笑するじいさんやばあさんを見守るように、交差点には『広重マートはこちら』という文字が躍っている。
 ド派手なオレンジ色の看板と、チープな外装に手書きの張り紙。この店は築ウン十年の家々が並ぶ街並みの中で正直少し浮いている。だからこそいい、というのは店主である広重幸三氏の談だ。
 コンビニエンスなストアのくせに、営業時間は朝八時から夜の十時まで。限られた時間の間、こうこうと灯りのともるこの店には、まるで羽虫が光に吸い寄せられるようにたくさんの『お客サマ』が訪れる。近隣に住まう人々を確かに見守り、照らす憩いの場。広重マートは、この町の住人達に愛されながら、今日も休まず営業している。

 広重マートの朝は早い。何しろこの辺りに住んでいるのはじいさんやばあさんばかりなので、みんなこぞって朝も早くからお買い物にいらっしゃるのだ。おかげでこうして七時半には店の掃除を始めなければならない。
 馬波蛍斗は低血圧だ。朝はあまり得意ではない。あくびを噛み殺しながら、店先をだらだら箒で掃いては、今にも閉じてしまいそうな瞼を擦っていた。
「あー、アイツあくびしてらー」
「サボりだ、サボりー」
 登校中の小学生に絡まれて、馬波の眉間にぴくりと皺が寄る。
「サボってねーし。おめーらガキと一緒にすんなっつの」
 馬波の言葉に、小学生がきゃっきゃきゃっきゃと騒ぎ出した。
「ガキって言うな!」
「バッハのくせに生意気だぞ!」
 バッハというのは子供達に勝手につけられたあだ名だ。馬波は天然パーマで、今もアフロといって差し障りの無いような頭をしている。特別何か手を加えているわけでもなく、天然パーマというくらいだから、それは生まれたままの姿なのだ。そのくせこいつらはすぐにそれを馬鹿にして、やれタワシだのバッハだの面白がってあだ名をつけてくる。
「俺の名前はバッハじゃなくてマナミ。マナミケイトだって、何回言や覚えるんだ」
 馬波がそう言っても、子供達は聞く耳をもたない。
「マナミだって。女みてー」
「そんなこと言ったって、バッハはバッハだよなー」
 馬波は「バッハ」と呼ばれるといつも憤慨して見せたが、意外とこのあだ名を気に入っていた。馬波は音楽が好きだ。クラシックはあまり聞かないが、テクノとオルタナティブロックは、彼の人生だと言ってもいい。音楽界の巨匠にたとえられることは、彼にとってそこまで気分の悪いことではなかった。

灯のともる場所で

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