『明日への扉〜あすとび〜』アットホームオリジナル動画コンテンツ

#052 駿河雛人形師 望月 勇治

駿河雛人形師

Surugahinaningyoshi

望月 勇治

Mochizuki Yuji

プロフィール

1978年 静岡県生まれ

静岡県で代々駿河雛人形製作を営む「望月人形」の長男として生まれる。
幼い頃から常に人形が身近にある環境で育ち、歳を経るごとに人形作りへの興味は増していった。高校卒業後は人形師の道に進むのではなく、見聞を広め、さまざまな経験をするために一般企業に就職。そして、25歳となった時、あらためて人形師になることを決意し、正式に後を継ぎたいと父に願い出る。以後、祖父、父の卓越した技術を受け継ぐため、研鑽の日々を送っている。

「駿河人形師」になろうとした、きっかけは?

子供の頃、仕事場は私の遊び場でもありました。部屋の様子は変わりましたが、材料の匂いなどがすると、幼い頃に見た祖父や父が人形を作っている姿が目に浮かぶんです。できあがった人形を見て、祖父たちの技術がいかに優れているのか、幼いながらに感じとっていました。
人形作りへの興味はあり、親も気づいていたと思います。しかし、親から家業を継ぐよう言われたことはありませんし、自分自身、人形作り以外の世界を見たいと思っていましたので、高校卒業後は販売の仕事に就きました。
3年、5年と時が経つにつれ、人形作りへの思いが強くなっていき、徐々に祖父たちの手伝いをする時間が増えていきました。そこで見た祖父、父の技術にあらためて感銘を受け、自分も優れた技術を身に付けて、素晴らしい人形を作りたいと思いました。そして、25歳の時、正式に人形師となり「望月人形」の後を継ぎたいと父に願い出たんです。

どんな「駿河人形師」になりたいですか?

10年近く経ち、少しは自分の想いを表現できるようになったと思います。でも、まだまだ技術が足りません、祖父や父の背中は遥か先です。
祖父は亡くなる直前まで人形を作っていました。そんな祖父の姿が、「職人は一生勉強の日々、研鑽の積み重ねだ」と教えてくれました。
購入されたご年配のお客さまの中には、「私は雛人形を買ってもらえなかったから、孫たちには…」、とおっしゃる方もいらっしゃいます。さまざまなお客さまの思いに応えるためにも、ひとつひとつの作業をより丁寧に行い、末永く喜んでもらえる人形が作れるよう真摯に取り組んでいきたいと思います。

師匠(父) 望月 明 さん インタビュー

勇治さんは、どんな職人ですか?

兄弟の中で最も人形作りに興味を持っていましたが、私から後を継ぐよう言ったことはありません。強制してできるものではないし、本人が興味を持てば、自然と人形作りの道に進むと思っていました。そして、現実に人形師を目指してくれた。これは本当に嬉しいことです。また、一度、他の仕事に就き、外から人形の世界、人形師という仕事を冷静に考えることができたのは大きいと思っています。お客さまがどんな人形を求め、その人形にどのような思いを込めているのかなど、分かったことも少なくないでしょう。最近では、責任感もより出てきたように感じますし、勇治ならではの人形も作れているように思います。これからも、より上を目指して精進して欲しいと願います。

取材を終えて・・・

勇治さんの部屋で人形のコレクションを見せてもらった。それは昔の映画のキャラクター人形の数々。幼い頃からキャラクター物や鉄道模型などのミニチュア、特により精密に再現されたものに惹かれるそうで、この趣味は今の人形作りに大いに生かされているとのこと。
そんな彼は今、明治時代の人形の再現に挑んでいる。材料を作る職人は既にいないため、自ら研究して材料から作り上げていくという、とても時間がかかりそうな挑戦。しかし彼は、「これは過去の優れた人形を次の世代に伝えるための、大事な仕事でもあるんです。」そう言うと、少し照れた表情を浮かべた。
偉大な祖父は、じっくり時間をかけ、自らの人形への想いを作品に込めてきた。
祖父の遺志は、彼に確実に受け継がれている。