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#045 宮大工 藤原 弘揮

宮大工

Miyadaiku

藤原 弘揮

Fujiwara Hiroki

プロフィール

1985年 鳥取県生まれ

設計士である父の影響もあり、幼い頃から大工の姿や仕事に興味を持つ。
中学生の時、断崖絶壁に立つ国宝「三徳山三佛寺 投入堂」の改修調査を行う宮大工と出会い、その仕事に強く心を動かされる。その後、大阪の建築専門学校を卒業し、日本有数の宮大工集団 「金剛組」に入社。一流の宮大工を目指し、研鑽の日々を送っている。

「宮大工」になろうとした、きっかけは?

父が設計士だった影響だと思いますが、子供の頃から建築に興味があって、「将来は、建築関係の道に進もう」と思っていました。中でも「大工」という仕事にとても惹かれましたね。大工さんの姿や振る舞いはすごくカッコよくて、「自分もああなりたい!」と強く思ったことがきっかけです。
その後、中学生の時、地元で有名な国宝の「三徳山三佛寺 投入堂」に行った際、日本の木造建築のすごさに圧倒されました。その場では宮大工の方が改修調査を行っていて、その仕事ぶりにも大きく心が動かされました。「こんなに偉大なものを作り上げる宮大工の技術ってホントにすごい!」と驚いたんです。そして、自分もこうした伝統技術を受け継ぐ宮大工になりたいと決意しました。
でも、自分は手先が器用な方ではなくプラモデルを作るのも苦手だったので、親からは今でも、まさか大工になるとは思わなかったと言われます(笑)。

どんな「宮大工」になりたいですか?

宮大工が作る建物は100年、1000年と残るものですから、その仕事は責任重大です。ちょっとしたことが将来に大きな影響を与えてしまうこともあるでしょうから、その見極めが正しく出来なければなりません。しかし、今はまだ頭で考える時間が長く、実際に手が動かないこともあります。これからも日本の伝統技術を受け継いできた先輩方の技に数多く接して、色々なことを身に付けていきたいと思います。
そして、まだまだ先のことですが、いつかは親方の木内さんのように現場全体を把握し指示できる存在になれればと強く願っています。そのために日々の修練を積んでいきます。

棟梁 木内 繁男 さん インタビュー

藤原さんは、どんな職人ですか?

うちに来た時からやる気がありましたし、頭の回転が速いですね。こちらが聞くことに対して、すぐに的確な答えが返ってくるので。難しい場面でもよく考えて対処していると思います。
なお、宮大工は慎重な仕事だけでは務まりません、度胸も必要です。代わりがない貴重な木材を刻むことが度々あります。その際、的確な判断とともに思い切り刻める度胸がなければ失敗します。彼には、それができると思います。今後、さまざまな現場で経験を積み、いずれは現場全体を仕切れる立派な棟梁になって欲しいと願っています。

取材を終えて・・・

加工場での休憩中、藤原さんが余った木材に鉋をかけ始めた。その鉋屑は、触れればすぐにちぎれてしまう薄さで、息を吹きかけるとひらひらと舞い上がった。
「空き時間とか仕事が終わった後、いかに薄くて長い鉋屑が出せるかやってみるんです」。腕が立つ大工ほど鉋屑がきれいで、向こう側が透けて見えるほど薄いという。藤原さんの鉋屑も十分きれいであったが、本人曰く「まだまだです」とのこと。
「きれいな屑が出ると、その場に置いていくんです。自分がやったとは言わないですけどね(笑)。でも他の大工さんも同じことをしてるので、自分より薄くてきれいな屑が置いてあると悔しいですね。」と、あくなき向上心で一人前の宮大工を目指す藤原さん。
日本の伝統的技術は、こうした宮大工一人一人の弛みない努力により守られ、そして継がれていく。