『明日への扉〜あすとび〜』アットホームオリジナル動画コンテンツ

#040 伊万里焼 絵付師 川副 隆彦

伊万里焼 絵付師

Imariyaki Etsukeshi

川副 隆彦

Kawasoe Takahiko

プロフィール

1981年佐賀県生まれ

伊万里焼の礎である「鍋島」を制作する窯元の家に生まれる。
家業には特に興味がなく、中学、高校は野球一筋の生活を送った。高校卒業後、有田にある窯業大学に入学するものの1年で退学。そんな折、兄弟のように育てられた従兄弟が「伊万里焼のろくろ師」になるための修行を始める。その仕事に打ち込むひた向きな姿に心うたれ、叔母の青木妙子氏(現在の師匠)に弟子入りを志願、伝統的「鍋島」の絵付師として研鑽の日々を送っている。

「伊万里焼 絵付師」になろうとした、きっかけは?

小さい頃から、焼物にはまったく興味がありませんでした。
伊万里焼はあくまで父の仕事であり、自分とは関係ないものだと思っていたのです。実際、父から、「職人になれ、跡を継げ」ということを言われたことはありません。私に興味がないと分かっていたのだと思います。この仕事は本人にやる気がないと決して続かない仕事ですから。
でも、高校3年になり具体的な進路を考えるにあたって、周りの多くの友達が家業を継ぐ道を選んでいく中で、「自分もそうしなければならないのかな」と、漠然と思うようになっていきました。
そして、焼物作りを学ぶ有田の窯業大学に進みましたが、やはり中途半端な気持ちで入学したため、勉強に身が入らず、1年で退学してしまいました。
その後は定職に就かず、アルバイトの日々が1年ほど続きました。そんな中、「伊万里焼のろくろ師」の修行に励む従兄弟の昌勝さんの姿を目にしたのです。昌勝さんは私の3つ年上で、幼い頃からいつも一緒に過ごしていて、実の兄のように慕っていました。ろくろを扱う従兄弟の姿は、今まで見たことのないものでした。指先に神経を集中し、一点を捉える眼差しから、職人を目指す強い決意、気迫を感じました。これが今までの自分を振り返り、考えを新たにするきっかけになり、「伊万里焼の絵付師になる」という覚悟を決めたのです。

どんな「絵付師」になりたいですか?

伊万里焼の礎である「鍋島」は、江戸時代、将軍家への献上品として扱われていました。
色使い、筆使いがとても豊かで繊細です。そんな伝統的技法を少しでも自分のものにしたいと、毎日、試行錯誤を繰り返しています。
師匠の作品は絵付けの技術もさることながら、感性、思いまで感じることができます。師匠の作品に触れたお客さんも、「他にはない優しさ、暖かさを感じます」と言います。
私も自己満足に終わらず、少しでもお客さんの心に触れるような作品を作りたいと思います。そのためには、伊万里焼だけではなく、さまざまなことに興味や関心を持ち、そして多くの人と出会い、優れたものを学び、吸収していくことが必要だと感じています。

師匠 青木妙子 さん インタビュー

隆彦さんは、どんな職人ですか?

窯業大学を退学して一度は挫折をしましたが、いずれ職人の道に戻ってくるような気がしていました。自分で「やりたい」と覚悟を決めなければ出来る仕事ではないし、続きません。この世界、私の父は60歳でも若手と呼ばれていましたので、急ぐ必要はないと思っていました。
隆彦は、今では、きちっとした線をうまく描くことができるようになりましたが、もう少し柔らかく描くことも意識すると表現はより豊かになると思います。
これからは、お茶やお花など多くのことを学ぶ必要があります。たとえば花器は、花を知っていれば、より深い仕上がりにすることができるからです。
もう一つ大切なのが、お客さんの声をよく聴くことです。自分では「いい出来だ」と思った所は印象がよくなく、逆に「どうだろうか」と感じていた所がとても気に入ってもらえたというケースがあります。その理由をきちんと考え、次に生かせばいいと思います。
そして、従兄弟の昌勝と2人で切磋琢磨しお互いを高めていって欲しいと願っています。

取材を終えて・・・

作業の合間に、隆彦さんがたくさんの写真を見せてくれました。それは絵付師としての知識や感性を豊かにするために、自分で撮影したという四季折々の風景や色々な花の写真でした。「絵付師になるまでは花の写真を撮るなんて思ってもいませんでしたよ」と、はにかみながら話す隆彦さん。
「絵付師の技量や感性を高めるためには…」と考えるうち、図鑑や写真集を参考にするだけではなく、「実際に現地に足を運び本物に接して、そこで感じた空気感も絵に表現したい」と、思うようになったそうです。
一度は挫折を経験し、それを乗り越えた隆彦さん。その言葉に絵付師としてより高みを目指す強い決意と覚悟を感じました。