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#026 提灯職人 小島 まりや

提灯職人

Chochin-Shokunin

小島 まりや

Kojima Mariya

プロフィール

1982年福井県生まれ

福井県坂井市で代々、提灯を作り続けている「いとや提灯店」の三人兄弟の末っ子として生まれる。姉兄が家業を継ぐことなく別の仕事に就く中、短大を卒業後、一度は調理師の道に進むものの、25歳の時、父であり師匠の畑峰雄氏への弟子入りを決意し、提灯職人の道を歩み始める。2010年に結婚。現在は一児の母となり、家庭を切り盛りしながら、職人の技に磨きをかけている。

提灯職人になろうと決めたきっかけは?

小島さん:もともと料理を作ることが好きなこともあって、短大を卒業した後、調理師という職に就きました。そこで初めて社会や仕事の厳しさ、そして厳しさの中にある「やりがい」というものを肌で感じることができるようになったんです。そんな頃ですかね、朝早くから夜中まで、黙々と提灯を作り続ける父の背中を見ているうちに、「少しでも父の助けになりたい…」という意識が芽生えたのは。そしていつしか「私も提灯を作ってみたい」と強く思うようになっていったんです。

まりやさんにとって提灯職人という仕事は?

小島さん:小さい頃、絵を描いたり工作をしているうちに、あっという間に時間が過ぎたことがよくありました。もともともの作りは好きでした。でも、まさか自分が提灯職人になるとは夢にも思いませんでした。
提灯作りという仕事は、家の仕事であり、父の仕事としか見ていませんでした。いつもの、そして当たり前の光景でしたから。いま思えば、提灯は見ていたけれど、提灯の作り方などは、ほとんど見ていなかったかもしれません。
私にとって「いつもの、当たり前の光景」がなくなること、そして提灯作りという仕事が絶えてしまうことは、とても寂しいことです。「いとや提灯に火を灯し続けたい」という気持ちもあって職人になることを決めました。
また仕事としても、「いとや」での提灯作りは、最初の行程から最後まで一人の手によって仕上げるので、もの作りが好きな私にとって大きな魅力でした。今の提灯作りは全国的に見ても、行程の一部分だけを担当する分業制がほとんどですから。

まりやさんの夫 直起さんインタビュー

まりやさんの仕事をどう思われていますか?

直起さん:交際が始まってから、しばらくした頃に、彼女から「今の仕事を辞めて、提灯職人になりたい」と聞かされ、直感的に「それは、いい!」と感じました。
その時は、彼女との結婚も意識していましたし、彼女の希望を全力で応援しようと思っていましたので、「伝統的な仕事だし、誰にでも出来る仕事ではないので、生まれた街、自分の思いを大切にした方がいい」と伝えました。
提灯の値段を聞いて高いと言う人もいると思います。でも全てが手作業の工程であることを見れば、けっして高いとは思わないはずです。ひとつひとつ丁寧に、心を込めて作っている作品なんですから。
「ひょっとしたら、息子の凜太郎も彼女の跡を継ぐかもしれません・・・でも、僕に似て不器用だったらだめでしょうけど(笑)」。

父であり師匠 畑峰雄さんインタビュー

職人になりたいと告げられた時のお気持ちは?

畑峰雄さん:職人の仕事がいかに大変かということは、身に染みて分かっていますから、自分の子どもたちに継がせるつもりはありませんでした。長女は嫁に行き、長男はフランス料理のシェフとして独り立ちしています。まりやも調理師の道を進んで行くものだと思っていましたので、「提灯職人になりたい」と聞かされた時は正直驚き、「やめた方がいい」と反対しました。
でも、反対はしていたものの、内心はとっても嬉しかったんです。まったく思っていなかった娘からの決意と、提灯職人になることへの熱意に本当に感動しました。
入門してから3年たって、少しずつですが職人の感覚が身に付いてきたかな…と思ってます。「早く楽になる日が来ないかな、と待ち望んでますよ(笑)」。

編集後記

この街は、提灯をなくてはならないものとして、昔も今もとても大切にしており、街にはいくつもの「いとや」の提灯が掲げられている。最初から最後まで一人の職人の手によって仕上げられるこの提灯は、とても魅力的で心をひき付ける暖かな火を灯していた。
まりやさんは、新しいものを取り入れながらも、よき伝統を受け継ぎ、福井に「いとや提灯」あり、といわれるよう、今日も切磋琢磨し技術を磨いている。