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#025 尾張七宝職人 廣井 聖資・戸谷 航

尾張七宝職人

Owari Shippou-Shokunin

廣井 聖資

hiroi Seiji

戸谷 航

Totani Wataru

プロフィール

ともに 1985年愛知県生まれ

幼い頃から物づくりが好きだった二人は、ともに、焼き物の製造法を教える「瀬戸窯業高校」に入学、焼き物作りの基礎を学ぶ。高校卒業後、二人揃って尾張七宝職人の道を選び、廣井さんは「銀線つけ」、戸谷さんは「釉薬差し」という、尾張七宝の最大の特徴であり、重要な工程を極めるべく、互いに切磋琢磨しながら、研鑽を積んでいる。

尾張七宝職人の仕事

金属製の下地に彩色を施す独特の技法で、国内外を問わず、広くその名を知られる焼き物「尾張七宝」。江戸時代より受け継がれてきた技法を用い、尾張七宝を作り出すのが「尾張七宝職人」である。

尾張七宝の製法はさまざまだが、近代七宝の基本といえるのが「有線七宝」。製造工程は「素地作り」「銀線つけ」「釉薬差し」「研磨」の4つに大別され、それぞれに高い技術を要するため、一般的には各工程を専門の職人が請け負う分業制となっている。

製造は、銅板を金槌で叩くなどして花瓶や皿などの原型を作る「素地作り」から始まる。
でき上がった素地に白の釉薬を引いて下地を作り、図案をもとに墨で下絵を書く。

素地に下絵を施したら、尾張七宝の最大の特徴といわれる重要な工程、「銀線つけ」を行う。これは、模様の輪郭を銀の線で描く作業で、まずは、高さ1ミリほどの銀線を下絵に合わせて、ひとつひとつ丁寧に形作る。
次に、“白笈(はくきゅう)”と呼ばれる糊をつけ、模様の輪郭に沿って垂直に立てて固定する。
模様の形だけでなく、器の曲線に合わせて形作るのは難しく、緻密で根気のいる作業。加えて、銀線の立て方一つで絵の印象も変わるため、繊細な感覚と熟練の技術が求められる。

「銀線つけ」を終えると、窯で焼きつけて銀線を固定し、「銀線つけ」同様に極めて重要な工程である、「釉薬差し」を行う。
尾張七宝で用いる釉薬は、色ガラスを粗い粉末にしたもので、扱いが非常に難しい。通常の絵の具と違い、色が混ざり合わないため、ぼかしをつけるには、色の濃さを変えた釉薬をいくつも作っておかなければならない。さらに、焼く前と後では色が変わるため、思い通りの色を出すのは難しい。また、釉薬は糊と水を混ぜて使うが、量の調整を間違えれば、焼きつけた際に濁ったり、剥がれ落ちたりするため、気の抜けない作業が続く。

全ての面に釉薬を施し、窯で焼き固める。焼くと粉末の釉薬は溶けて銀線との段差が生じるため、“色を差し、焼き”を3回ほど繰り返し、銀線と釉薬の部分を同じ高さにする。
その後、砥石などで最終工程となる「研磨」を行い滑らかにし、光沢を出すとともに、銀線による模様の輪郭を際立たせる。こうした工程を経て、鮮やかな七宝焼きが出来上がる。図案に忠実なだけでなく、職人の繊細で豊かな感性をも求められる「尾張七宝職人」。
そのために、彼らは日々の生活においても、図案を読む感覚を磨き続ける。
先人たちが守り続けてきた「尾張七宝」の技法は、こうして現代にも受け継がれていく。

尾張七宝とは…

金属製の下地に彩色を施すことで生まれる、華麗で気品のある図柄が特徴の焼き物。
江戸時代後期、現在の名古屋市を中心とした地域にあたる尾張の職人・梶常吉が、外国製の七宝皿を手がかりにその製法を発見し、改良を加えたのが始まりとされる。
以降、技術の発展を遂げ、繊細で華麗な尾張七宝が次々と生み出され、明治には、海外へもその魅力が伝わり、一大産業として栄えていった。世界各地で開催された万国博覧会では、その巧妙さ、精美さから、日本特有の工芸品として世界的に高い評価を受けている。