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#023 弓師 柴田 宗博

弓師

Yumishi

柴田 宗博

Shibata Munehiro

プロフィール

1984年京都府生まれ

約500年にわたり、京弓の製法を代々継承する「柴田勘十郎弓店」の長男として生まれる。幼いころから父の仕事を見て育ち、将来、弓師になることを意識し、23歳の時、父でもある21代目・柴田勘十郎氏に弟子入り。長き伝統を守る重圧と戦いながら、技術の修得に励んでいる。

「京弓」弓師の仕事

古来より作られ、現代でも弓道・弓術などで使われる日本の弓は、全長2メートル以上にもなり、世界最大の弓とされる。この弓の製作を専門とする職人を『弓師』と呼ぶ。
日本の弓は、『薩摩弓』『京弓』『尾州弓』『江戸弓』の4つに大別されるが、戦国時代から作られるようになった『京弓』は、現在も職人によって一つひとつ手作業で作られている。

京弓の主な材料は“真竹(まだけ)”。 天日で乾燥させ、長い月日をかけて水分を抜き、乾燥させることで、丈夫でしなやかな京弓が作られる。
弓の構造は一見単純なようだが、実はいくつもの材料が組み合わさって成り立っている。芯となる「中打ち」を作り、それを弓の内側になる「内竹(うちだけ)」と、外側の「外竹(とだけ)」で挟みこむ。この構造が矢を遠くまで飛ばす反発力を生み出している。

中打ちと竹を張り合わせるために、まずはそれぞれを薄く削る。弓を引く力は、組み合わせた厚みや幅で決まるため、弓の強さに応じて厚みを調整しなければならない。重ねた時の厚みを確かめながら慎重に削り、中打ち、内竹、外竹を整える。

出来上がった中打ち、内竹、外竹を接着剤で張り合わせると、すぐさま、「弓打ち」を行う。これは、弓の質が決まる重要な工程で、弓作りの中で最も難しいとされる。まず、張り合わせた竹に、“あて木”と弦をかける板を付け、等間隔で麻縄を巻く。そして、麻縄に引っかかるように竹のくさびを木槌で打ち込み、圧縮して締めながら、絶妙な加減で弓の反りを付けていく。

接着剤が固まるまでのわずかな時間で形を作らなければならず、100本以上ものくさびの方向や打ち付ける強さや、回数を瞬時の判断で調整する。職人の経験と勘だけが頼りとなる作業で、みるみるうちに反りが出来上がっていく様は圧巻。
一日置き、くさびを外すと、今度は、弓打ちでつけた反りと逆の方向に反り返らせ、弦をかける。これによって、矢を飛ばす大きな反発力が生み出される。弦を張るのは一発勝負で、時には反り返した瞬間に弓が折れることもあり、一瞬たりとも気を抜くことができない。

弦を張った弓はそのまま数ヵ月癖を付けた後、漆塗りなどを施し仕上げられる。そして、形を安定させるため、弓師自ら弓を引き、数千本もの矢を射込みながら徐々に慣らして最終調整をし、ようやく完成となる。

先人たちの手によって、500年間も守り続けられてきた『京弓』の伝統と技は、偉大な弓師の名とともに、世代を越えて現在も受け継がれている。

京弓とは…

『京弓』の起源は戦国時代に遡り、1534年、島津藩に仕えていた弓師の初代・柴田勘十郎によって作られたのが始まりとされる。本能寺の変で、明智勢に向かって織田信長自らが引いた弓が「柴田の弓」だったとの言い伝えもある。
初代の創業以来、京弓の技法を伝承する柴田家は、江戸時代には徳川藩に仕え、「御弓師」の称号を授かり、明治22年には宮内庁御用達の栄誉を受ける。

見た目は細く優雅で美しい『京弓』は、しなやかでありながら力強い引き味と、鋭い冴えを併せ持つと評され、現在も『京弓』の愛好家は少なくない。

現在当主を務める21代目・柴田勘十郎は、弓道競技の弓を中心に製作をする一方、文化財である弓の複製を手掛けるなど、長きにわたって受け継がれてきた伝統の技を今に伝えている。