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#021 墨匠 伊藤 晴信

墨匠

Bokusho

伊藤 晴信

Ito Harunobu

プロフィール

1987年三重県生まれ

「鈴鹿墨」の製法を代々継承する「進誠堂」に生まれる。高校卒業後、一時は漫画家を志し上京。しかし、メディアに掲載された鈴鹿墨の記事を見て、その価値をあらためて知り、途絶えさせてはいけないと思い至り、墨匠になることを決意。父であり鈴鹿墨最後の職人・伊藤亀堂氏に弟子入りし、後継者として日々修業に励んでいる。

墨匠の仕事

墨の製作を専門とする職人を「墨匠(ぼくしょう)」と呼ぶ。
平安時代初期から三重県で作られるようになった『鈴鹿墨』は“墨の最高級品”とも称され、現在も高度な伝統技法によって作り続けられている。

墨の主な原料は、「煤(すす)」と、接着剤の役割をする「膠(にかわ)」。
そして、墨作りに必要不可欠なのが“寒さ”だ。これには膠の性質が大きく関係する。煮溶かした膠は腐りやすい上に、適度な温度と湿度を保たなければ接着力が落ちてしまい、良い墨を作ることができない。そのため墨作りは10月から4月の寒い時期に限定され、より気温が低い夜明け前から作業が行われる。

墨の製造は、煤と膠を混ぜ合わせる工程から始まる。
まず、膠を水飴状になるまで湯煎で溶かし、溶かした膠と煤を機械で混ぜ合わせる「荒練り」を行う。膠の独特な臭いを消すための香料を加えながら、全体に艶が帯びるまで練り合わせ、それを丸めて「墨玉」を作る。

墨玉ができあがると、渾身の力を込めて墨玉を揉み込む「揉みあげ」を行う。
これは全て手作業。墨の出来を左右する最も重要な作業で、1日の大半をこの作業に費やす。良く揉み込むことで煤と膠が一層混ざり合うとともに、中の空気が抜ける。そして適度に空気が抜け、丁度良い具合に混ざると、墨玉は独特の美しい光沢を放ち始める。
しかし、揉み過ぎると、ひび割れが生じてしまうため、このタイミングを見極めるのは至難の業であり、長年の経験で培った熟練の技だけが頼りとなる。

ほど良く練り上がった墨玉は、重さを量り大きさを揃え、丸い棒状にし、光沢が消えないうちに素早く型に入れ、万力で締め上げ固める。
墨玉は、空気に触れると乾燥が進みひび割れてしまうため、揉みあげから型入れまでは、一瞬でも気を抜くことは許されない。

万力で締め上げた状態で一晩寝かせ、型から取り出し形を整えたら「灰替乾燥」を行う。墨を木箱に並べ、上に新聞紙を敷きつめ、さらにその上に灰をかぶせていく。灰は毎日取り替え、墨に反りがあれば裏返す。この作業を3週間ほど繰り返し、徐々に墨の水分を抜いていく。
そして、墨をワラで結んで吊るし、温度、湿度を管理しながら「編み干し乾燥」を行い、ゆっくりと自然乾燥させていく。最短で100日、長いものだと3年から10年かけ乾燥させていく。こうして時間をかけることで、人の手では取り除けない不純物が抜け、より良い墨の色が出るようになる。
乾燥を終えた墨は、水で洗って汚れを落とし、貝殻で磨き、仕上げに絵付けなどを施し完成となる。

墨の良し悪しは使って判断される。年月を費やし「墨」として完成した後に、出来や技量を評価されるのが、墨作り・墨匠という職人の難しさであるという。
日々、墨玉と向き合い、技を極めていく。1200年もの間、先人たちが守り続けてきた『鈴鹿墨』伝統の技術は、こうして受け継がれていく。

鈴鹿墨とは…

1200年の歴史を誇る由緒ある墨。墨下りの滑らかさ、基線とにじみの調和が特徴で、多くの書道家に愛用されている。

発祥は平安時代初期。鈴鹿の山で採れた松を焚いて煤を取り、その煤を原料に墨を作ったのが始まりとされ、山の水と恵まれた気候風土が良質な墨を生んだ。
江戸時代には、家紋を書くための上質な墨が必要とされ、さらに、寺子屋の普及により、墨の需要が増えた。また、紀州徳川家の保護と厚遇を受けるようになったことで鈴鹿墨は大きく発展。当時、墨の代表的な産地であった奈良に匹敵する産地となった。

現在も、昔ながらの技法を用いて、『油煙墨(ゆえんぼく)』、『松煙墨(しょうえんぼく)』が製造されており、1985年には、墨としては唯一、国の伝統的工芸品の指定を受けている。