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#017 日光東照宮修復・彩色職人 安藤 由香梨

日光東照宮修復・彩色職人

Nikko Toshogu Shufuku
Saishoku-Shokunin

安藤 由香梨

Ando Yukari

プロフィール

1981年栃木県生まれ

美大の日本画学科を卒業後、文化財修復の「彩色」という仕事に出会い「絵を忠実に描くこと」が得意だった自分に向いていると考えるようになる。そして民間の文化財修復会社での修業を経て、「日光社寺文化財保存会」に採用され、以来、彩色技術者として400年の伝統・文化を守るため、研鑽を積んでいる。

日光東照宮修復・彩色職人の仕事

江戸時代初期の建築・美術・工芸の粋を集めた建造物と称される『日光東照宮』。
その豪壮華麗な姿を維持するため、およそ50年に1度の割合で大規模な修復作業が行われており、2007年からは「平成の大修理」と称される修復作業を『財団法人・日光社寺文化財保存会』が一手に行っている。

修復作業は「漆塗」と「彩色」の二つの部門に分かれ、それぞれを専門の職人が請け負う。
『日光東照宮』らしい煌びやかな彩色は、天然の“岩絵の具”と“金”で描かれている。“岩絵の具”は大変貴重なうえ、風雨に弱いため、本来は屋外の装飾には適していない。しかし、400年前と同じ手法を継承するために、あえて現在でも“岩絵の具”を用い、当時と変わらない独特の極彩色を忠実に再現している。この難しい彩色を施して剥落した色を修復し、絵を再現するのが「彩色職人」の仕事である。

「彩色」の工程は、彩色作業の設計図である“見取り図”の作成から始まる。彩色職人は修復作業に入る前に必ず、修復する彫刻の姿とそれに施された彩色を細部に至るまで紙に描き起こし、これを元に作業を行っていく。“見取り図”の作成は、写真では残すことができない繊細な彩色の細部を後世に伝える役割も果たすため、彩色職人にとっての大切な仕事の証でもある。

“見取り図”が完成すると、洗い落としをして、漆塗り、金箔までが施されたうえで、下準備である「下塗り」作業を行う。まずは、修復する部分に“鉛丹(えんたん)”という朱色の顔料を2度塗って乾燥させ、その上から“胡粉(ごふん)”と呼ばれる白い顔料を塗る。1度塗った胡粉が乾いたら、さらに胡粉を塗って乾かす。下地の朱色が強く出すぎないよう、また、剥落しにくくするために必ず2度以上胡粉を塗る。

下塗りを終えると、煌びやかな彩色を施す「上塗り」作業に入る。青色の絵の具である“群下(ぐんした)”、薄緑色の“白緑青(びゃくろくしょう)”などさまざまな色の岩絵の具を用いて、波や葉の色を描いていく。この時、より立体的に見せるため、あるいは鮮やかな色や金箔を際立たせるために、水を含ませた筆でふちをぼかすといった技法を細部にわたって施す。また、人の目には触れない裏の細かい部分にも色を付けるといった丁寧な作業を施す。

そして、目やまつ毛など細かい部分に筆を入れ、さらに純金の金粉に膠(にかわ)を加えて暖めた“金泥(きんでい)”を使って、羽軸や毛一本一本といった細かい部分を描いて絵に表情を付け仕上げていく。
こうして「漆塗職人」から「彩色職人」へと引き継がれた修復作業は、幾多もの工程を経て、最後に金で彩色を施すことで完了する。

彩色において最も難しい作業は「活け彩色」と呼ばれる動物や植物に活き活きとした表情を付けることにあるという。400年前の人の感性や物の見方は現代とは異なり、線や丸の描き方にも違いが大きく表れている。『日光東照宮』の絵を忠実に再現する「彩色職人」には、400年前に生きた人々の考え方をイメージできる豊かな感性が必要不可欠であり、また当時の職人の筆使いをも深く理解し表現できる高い技量も求められる。

日光東照宮・平成の大修理とは…

日光東照宮は、漆塗・彩色・錺金具などの外装に多種多様な技術が用いられた豪華壮麗な造りが特徴で、この精彩を維持するため、江戸時代には20年に1度の割合で国家を挙げての造替・修復作業が継続して行われてきた。
中でも1636年の修復作業は、創建時のほぼ全てを一新する大工事であり、この工事により現在の絢爛豪華な姿となったとされる。
明治以降、修復作業は50年に1度の割合で行われるようになり、1950年から36年の歳月を費やして行われた「昭和の大修理」を経て、2007年からは「平成の大修理」と称される、本殿・石の間・拝殿をはじめ東西透塀、正面唐門など重要な主社殿の工事が順次、行われている。
なお「平成の大修理」が終了するのは、2024年と予定されている。