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#016 日光東照宮修復・漆塗職人 大森 憲志

日光東照宮修復・漆塗職人

Nikko Toshogu Shufuku
Urushinuri-Shokunin

大森 憲志

Omori Kenji

プロフィール

1986年栃木県生まれ

大学の文化財保存学科在籍中に“漆”の光沢の美しさに魅せられ、漆に関する知識を一から学び、次第に「漆と関わる仕事をしたい」という想いを強めていった。そして在学中に「日光社寺文化財保存会」の採用試験に合格、卒業と同時に社寺の修復にあたる漆塗技術者としての道を歩み出した。以来、日本の伝統・文化を守り、後世に伝えるべく研鑽の日々を送っている。

日光東照宮修復・漆塗職人の仕事

「世界遺産」に登録されている、日本を代表する建造物『日光東照宮』。
江戸時代初期の建築・美術・工芸の粋を集めた建造物と称され、漆塗・彩色・錺金具などの外装に多種多様な技術が用いられた豪壮華麗な造りが特色。その精彩を保ち、後世に伝えるために、江戸時代には20年に1度の割合で大規模な修復作業が行われていた。明治以降は、50年に1度の周期となり、現在は「平成の大修理」と称される長期にわたる大規模な修復作業が『財団法人・日光社寺文化財保存会』の技術者たちの手によって行われている。2007年に始まった今回の作業が終了するのは2024年と予定されている。
修復作業は「漆塗」と「彩色」の2つに大別され、それぞれを専門の職人が請け負っている。

『日光東照宮』の建造物の表面には、防腐効果が高く、雨風に強いといわれる“漆”が塗られている。しかし、基の木材は400年前のものがそのまま使用されているため、それを守るためにも漆のひび割れ部分を塗り直し、再度表面を強固にしていく必要がある。この重要な修復作業を担うのが「漆塗」の職人である。

「漆塗」の工程は、新たに塗る漆の浸透力を高めるための下準備から始まる。
まず、お湯をかけ表面の塗装をこすり落とした上で、古い漆面を水研ぎして傷を付けていく“古研ぎ(ふるとぎ)”を施す。
次に、木割れを起こしている部分の周りを彫刻刀で削る「刻苧彫り(こくそぼり)」を行う。オリジナルの形を崩さないよう必要最低限の範囲・深さだけ削っていく繊細な作業であるため、職人の技量や感性が問われる。

そして、生漆とテレピン油を混ぜたものを塗り込むことで彫刻全体の表面を固めていく「固め」の作業を施し、一晩かけて乾燥させる。
さらに「刻苧彫り」を施した箇所に特殊な漆を埋めてなじませ、限りなくオリジナルに近い状態に戻す「刻苧(こくそ)」という作業を行い、続いて漆のひび割れた箇所に和紙を載せて漆で接着させる「紙着せ」を行う。これらの処置は木割れを防ぐことはもちろん、50年後、100年後に修復を担う者へ、修復履歴(箇所や方法)といった大切な情報を伝える役割も果たしている。
また、より強度を持たせたい部分には、特別に調合した漆を塗る「下地塗り」を行う。
「漆塗」の最終段階は、弁柄(べんがら)漆で「中塗り」をし、乾いたら表面を水研ぎして表面に細かく傷を付け、その上からもう一度、弁柄漆で「上塗り」を行う。
こうして漆を塗り重ねることで、表面の美しさと強度を格段に上げることができる。
そして最後に「上塗り」をした部分に接着用の漆を塗り、金箔を一枚一枚貼っていき、刷毛で表面を整えれば「漆塗」の作業は終了となる。

なお、この修復作業は「漆塗職人」から「彩色職人」へと引き継がれ、さらに幾つもの作業工程を経ていくことになる。

貴重な文化財建造物を残していくためには、細心の管理と適切な修復を絶えることなく繰り返すことが必要とされる。またこれら文化財は、さまざまな学識と高度な伝統技術を身につけた職人たちによって守られているのである。

日光東照宮とは…

栃木県日光市にある徳川初代将軍・徳川家康を祀る神社。今からおよそ400年前の1617年、二代将軍・秀忠によって建立された。
建立当初は質素な社殿であったが、三代将軍・家光が現在の金額に換算すると約400億円という莫大な費用をかけ実施した「寛永の大造替(だいぞうたい)」により現在の絢爛豪華な姿となった。
江戸時代初期の技術の粋が凝縮された建物は、当時の優れた名工、絵師たちによって細密な彫刻や漆、極彩色が施され、これら建造物の全てが国宝や重要文化財に指定されている。また、1999年には、日光山内にある二社一寺(日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺)の「建造物群」と、建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」が『世界遺産』に登録された。