『明日への扉〜あすとび〜』アットホームオリジナル動画コンテンツ

#012 結城紬・織り子 大谷 加奈子

結城紬・織り子

Yukitsumugi Oriko

大谷 加奈子

Oya Kanako

プロフィール

1984年徳島県生まれ

幼い頃見た絵本に糸から布ができるまでの様子が描かれており、それに興味を抱いたことをきっかけに、年々、織物への憧れを募らせていった。大学生の時に『結城紬』と、技術を教える「紬織物技術支援センター」を知り、機織り(はたおり)職人になることを決意。センターで1年、基本技術を学び、現在は織元・坂入則明氏の下で「織り子」として、技の習得に努めている。

結城紬・織り子とは…

国の“重要無形文化財”に指定されている『結城紬(ゆうきつむぎ)』。
その製作には30以上もの工程があり、今でもその全てが手作業で行われている。
一つひとつの作業には熟練した技術と長い時間を要するため、それぞれの工程を専門の職人が請け負う“分業制”を採用することが一般的となっている。
その中で、製作工程の最終段階である“機織り(はたおり)”を専門に行う職人を『織り子』と呼ぶ。
結城紬が“重要無形文化財”となる要件は、製作工程に「糸紡ぎ(いとつむぎ)」、「絣括り(かすりくくり)」、「地機(じばた)による機織り」という3つの作業が含まれていること。つまり『織り子』は“重要無形文化財”となるための要の一つを担っているのである。

織り子が使う機織り機は『地機(じばた)』と呼ばれ、機織り機の中で最も原始的な仕組みであることが大きな特徴。
機(はた)には1,360本もの“たて糸”が巻かれており、この“たて糸”は織り子の足に結ばれた紐で操作され、足を引いたりすることで“たて糸”が上下に開く仕組みになっている。
上下に開いた“たて糸”の間に、重さ600グラムもある「杼(ひ)」という道具を使って“よこ糸”を通し、その「杼(ひ)」と、「筬(おさ)」という2つの道具を使って“よこ糸”を手前に打ち込み、“たて糸”と“よこ糸”を交互に織り込んでいく。一反の布にするには、この打ち込みを3万回以上繰り返さなければならない。
また「絣(かすり)」と呼ばれる柄の部分は、打ち込みに1ミリの誤差も許されない神経を集中させる部分であるため、打ち込む度に指で糸をなぞり、一本一本を柄に合わせながら織り進めなければならない。そのため、1日を費やしても10センチほどしか織れないこともあり、一反織るのに早くて1ヵ月、複雑な柄になると完成まで1年以上の歳月を費やすものもある。

こうした足や手での作業に加え、『地機』にはもう一つ大きな特徴がある。それは、腰を使った作業。機に張られている“たて糸”を腰当てに直接結びつけ、腰の位置を調整しながら糸の張り具合に加減を施す。「結城紬」の持つ独特の柔らかな風合いは、使われている手紬糸(てつむぎいと)の伸縮性や繊細さという特性を腰を使って最大限引き出すことで生まれる。また、座る位置や腰の向きを少しでも誤れば布に歪みが生じ、真っ直ぐに織り進めることができなくなるなど機織りでは腰が重要な役割を果たすのである。

こうして織り上がった反物は、糸質、幅、長さ、打ち込み数、絣模様のズレなど16項目ある厳しい検査を受ける。これに合格してはじめて“重要無形文化財「結城紬」”と認められるのだ。

織り子には、並々ならぬ体力と高度な技術、さらに手紬糸一本一本のわずかな太さの違いを見極める高い集中力の持続が求められる。千年以上変わることなく受け継がれる『結城紬』の伝統と技は、職人の信念とたゆまぬ努力によって守られているのである。

結城紬とは…

「真綿(まわた)」から手で紡いだ糸で織られるのが特徴の絹織物。
奈良時代に端を発し1200年もの歴史があるとされ、古来より伝わる道具をそのまま継承し、全ての工程を手作業で行うのが大きな特徴である。
主な生産地は鬼怒川を中心に栃木・茨城両県にまたがった地域となっている。この地域は、かつて絹村と呼ばれたほど養蚕が盛んで、養蚕業の副産物として織物が作られるようになったのが始まりとされる。

結城紬は、絹織物でありながら素朴な風合いを持ち、ふんわりと柔らかい手触りと張りが特徴。また軽くて温かく、着るほどに風合いが良くなり、体になじむと評されている。そして、「伝統の技法を現代に伝える唯一の紬」とも言われ、今日では最も高級な先染織物の一つにあげられている。

見た目の素朴さからは想像することができない匠たちの技と魂の結晶、それが結城紬。
千年以上にわたり、職人によって受け継がれてきた伝統的、かつ高度な手法は、1956年に国の重要無形文化財に指定され、その名を全国に広めた。
そして今日も、多くの職人の手により、伝統が紡がれている。