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#004 薩摩切子職人 永井 里沙

薩摩切子職人

Satsumakiriko-Shokunin

永井 里沙

Nagai Risa

プロフィール

1987年香川県生まれ

小学生の時に「薩摩切子」と出逢い、輝き・色の温かさなどの魅力に心惹かれる。そして「薩摩切子」を作る職人になりたいとの夢を抱き続け、高校卒業とともに「薩摩ガラス工芸」に入社。現在は、優れたカット師になることを目標に、日々努力を積み重ねている。

薩摩切子職人(カット師)とは…

鹿児島県を代表する工芸品『薩摩切子』を作る職人。『薩摩切子』の製造は、大きく二つの工程に分けられる。一つは、ガラスを吹いて透明のガラスに色を被せ、薩摩切子の生地となる「色被せガラス」を成型する工程。もう一つは、色被せガラスに模様を彫り込み、製品へと仕上げる加工の工程。それぞれ専門の職人が作業にあたる。

加工の工程の中で、ガラスに模様を彫り込む職人を「カット師(切子師)」と呼ぶ。カットは優れた技術と経験がないとできない作業と言われている。実際、一本の線を彫ることすら難しい作業である。一本一本の線を正確に彫り込めない限り、薩摩切子特有の模様を表すことはできない。また、彫り込む深さも、その繊細な力加減を習得しない限り、「色」という魅力を表現することはできない。
カット師になるためには、まず、模様を彫るための基本線をペンで引く「当たり」という作業や、カットされたラインを正確に磨き上げる「磨き」の作業などを習得することが必要とされる。

技術を磨き、様々な経験を経なければ、一人前のカット師になることはできないのである。

薩摩切子とは…

江戸末期に薩摩藩で作られた、カット文様を彫り込んだガラス製品のことを指す。1851年、当時の薩摩藩主島津斉彬の命により色ガラス製法の研究に着手し、当時の日本では創りえなかった「紅色ガラス」をはじめ、紫、黄色などの発色に成功。その後、美術工芸品として高く評価され、本格的なガラス製造事業に乗り出した。
ところが、1858年に島津斉彬が急逝するとガラス事業は縮小され、さらに、1863年に勃発した薩英戦争によりガラス工場が焼失、その後、ガラス製造は完全に途絶えてしまった。そのため、当時の作品は現存するものが極端に少なく、『幻の切子』とも言われ、現在では、かなりの高値で取引されている。

長年の間、薩摩切子の製造方法は謎とされてきたが、1985年、薩摩切子再興に向けた本格的な活動がスタートし、多くの職人や研究者の努力により、現在では紅、藍、紫、緑、金赤、黄、6色の復元に成功している。