――作品に取り掛かるとき、街からインスピレーションを受けることはありますか?
「街というか、土地にはすごく影響を受けますね。『その土地から何か生まれるんじゃないか』と思っています。土着の信仰のようにね。自然や、土地の形状、その街の歴史、さまざまなことを含めて、何かが湧き出てくる、それらが物語に強く力を与えるんじゃないかと。だから、『この土地がつくり出す物語は何なのか』を、ものすごく考えます。何も生まれてきそうもない街を眺めるのはさみしいですね」
太宰が暮らした街・三鷹市内には
ゆかりある場所がそこここに
――この作品では、中野、武蔵野と、中央線沿線の風景がよく登場します。
「浅野忠信さん演じる大谷と、松たか子さん演じる妻・佐知の住居は、武蔵小金井。吉祥寺には堤真一さん演じる弁護士の事務所があります。佐知が働く居酒屋・椿屋は原作の通り、中野です。椿屋と住居はセットでつくっていますが、佐知はその二カ所を毎日中央線で行き来する。AからB、BからA……と、行ったり来たりをたんたんと繰り返していく。なんの飾り気もない、こげ茶色の汽車の中で、人間模様が変化し、進化していきます。それが、すごく〈日常というもの〉だと思うんです。だから、映画もそういうつくりになっています。この作品では中央線が大きなカギを握っているんです」
――原作者である太宰治が生前暮らしていた三鷹も、中央線沿いですね。
「いま三鷹には太宰の『文学サロン』もありますよ。中央線をまたぐ陸橋で撮影されたポートレイトも有名です。太宰の作品世界と中央線は、すごく密接だろうと思いました。太宰が住んでいた頃、武蔵野はたぶん、すごく田舎だったと思うんです。街というより、自然があふれる景観だったんでしょう。植物の植生も含めて、独特なものがあったんじゃないかな」
目印に「ゆかりの案内板」が設置してあります
仕事半分、合宿半分の青春の日々
「いまは中央線というと、すごく田舎っぽいイメージがありますね。上京して東京に住む場所を探すとき、中央線沿いを選ぶ人も多いんじゃないかな。『中央』っていうと真ん中のような気がして『安心する』みたいな」
中野には
マーケットの雰囲気を感じる建物も
どこにいても目印になる
中野サンプラザ
――中央線というと、楳図かずおさんや江口寿史さんなど、漫画家が集まっているイメージもあります。
「太宰が住んでいた当時も、文学者同士が交流したり、住んだりする場所として、中央線沿いは〈トレンド〉のひとつだったんでしょう。作家が集まるそういう場所は、どの時代でもあると思います。僕も随分お世話になったのですが、昔、中野には福屋という旅館があって、シナリオライターがよく集まっていました。打ち合わせをしたり、シナリオを書いたりして。僕も長い時は1カ月くらい福屋に泊り込んでシナリオを書いていた時期がありました。仕事半分、合宿半分の青春の日々でした。ですから、中野近辺はよく散歩もしましたよ」
――そういう時は、食事も旅館でとるんですか?
「そうですね。『今日はいらない』って、気分転換に出て行くときもありましたけど、出ていたら仕事にならないからね(笑)。なにしているんだか分からないでしょう?」
――(笑)。小説家が缶詰(一部屋に閉じこもって原稿を書く)になることでは、駿河台の「山の上ホテル」もよく知られています。映画人にもそういう場所があったんですね。
「映画人が缶詰になるところはたくさんあります。神楽坂の『和可菜』は結構有名ですけど、荻窪や赤坂にもある。小説家もそうだと思いますが、いまはそういう場所に閉じ込められるよりも、仕事場を別に構えたりしていますよね? 映画界もだんだんそうなってきました。太宰が小説を書いていた頃は、世界も作家も貧乏だった時代が終わって、編集者が作家を閉じ込めて書かせる、みたいな〈ノリ〉があったんでしょう。ものを書くという意味では、僕が若い頃、映画界にもその〈ノリ〉がまだ残っていたんです」
大切なのは丁寧にそろえること
昭和の空気が漂う横町
中野駅南口の一角
三鷹駅近く
太宰治の写真でも有名な
陸橋から中央線を見下ろす
――椿屋の佇まいですが、監督の馴染み深い街並みの景色から想定されたんですね。
「中野駅の南側のつもりですね。椿屋のようなノリの居酒屋さんは東京にもいくつか残っています。でも、そういうお店が並ぶ横町は、どんどんなくなっていますよね。当時の言葉ではマーケットっていっていました。マーケットというと聞こえがいいけど、闇市みたいなね。いまもなごりが残る通りはありますよ」
――特に中央線は、横町が多いという印象があります。監督ご自身も、そういうお店へ飲みに行ったりするんですか?
「新しいスタイルのお店は、あまり得意じゃないので、行くならどちらかというとそういうところですよね(笑)。お酒はそんなに飲まないけども、お店として椿屋みたいな雰囲気のあるところはすごく好きですよ」
――椿屋はお店の雰囲気がとてもにぎやかですてきでしたね。名物の煮込みもおいしそうでした。
「食べ物はこの業界では〈消えもの〉というのだけど、それはやっぱりおいしいものじゃないとダメなんです。飲んで食って、ワイワイしている時は、いくつもおいしく食べられるものじゃなきゃ。役者も無理やりおいしく食べる芝居をさせられたんじゃ、ほかの芝居がおろそかになってしまう。だから、お酒以外は本物なんですよ」
――浅野さんはお酒が飲めませんよね。でも、大谷の酔っぱらいぷりはすごくリアルでした。
「いつも飲まないから観察しているんじゃないの(笑)?」
――(笑)。椿屋が華やいでいる感じがとても伝わりました。観客に「あの場所へ行ってみたい」と思わせる、雰囲気つくりの秘訣は何でしょう?
「秘訣なんてないですよ。汚れも含めて、その場にあるようなセット、美術をつくる。居酒屋料理も、たぶんあの時代には、そんなにおいしいものはなかっただろうから、見掛けは時代考証に合わせながら、ちゃんとおいしい料理を置く。そこにエキストラを含めて、経験を積んだ俳優さんたちがそろって、その場をきちんとつくり上げる。伊武雅刀さんや室井滋さんのような傑出した俳優さんも、自分が映らないからといって、その場にいないということはない。そこにカメラがある間は、芝居をしてその場をつくっている。大事なのは、そうやってひとつひとつ丁寧にそろえていくことだと思っています」